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青葉心理クリニック

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心の構造から 吉本隆明「言語にとって美とはなにか」を読む その1
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    心の構造から、吉本隆明「言語にとって美とはなにか」を読む その1

     

    フロイトが(強迫)神経症の特徴として、

     

    「思考の中に閉じ込められて行動ができなくなること」

     

    を言っているが、新型コロナウイルスの問題が出て来てから、これにより疲弊している方が多くなっているように思う。前にも引用したことがあるが、お話を伺っているとどうしてもファウスト第一部の

     

    「 思索なんかする奴は、
    枯野原で悪霊にぐるぐるひきまわされている
    動物みたいなものです。
    そのまわりには美しい緑の牧場があるのに。」

     

    という記載をどうしても思い出してしまう。脳科学的に、関心を枯野原から緑の牧場に移すことができれば、悪魔にぐるぐる引き回されることはなくなるので、関心を移す「行動」をしていただくことを勧めて来たが、最近、吉本隆明の「言語にとって美とは何か」を再読していて、彼が別のところで述べている、「問題は初めから、現実と現実意識と表現との基本的関係の中にあったのである。」を頭において、この本でのプロレタリア文学批判で述べている「現実を現実として捉え行為するという主体の立場が欠落」している立場、すなわち「表現」が「現実」に擦り寄り過ぎている立場というのが、主体の欠如のもとに、ある思索を強迫としてくり返す状態なのだろうと気付いた時に、強迫の治療にもう一つの要素があるのではないかと気付いたのである。

     

    吉本の「表現、現実意識、現実」の三極、ないし三軸関係の構造から言うと、現実に偏したために「表現」の根拠を失い、人間、現実についてのゆがんだ像を創り出しているのが強迫の心的構造であるなら、彼の現実世界と、その現実世界の疎外態として成立する想像世界である(現実)意識の差異により引き起こされる行動が、自由の実践であった場合だけが治療になりうるのであり、そのためにはこの差異の中の疎外を疎外として明確に認知することが絶対に必要になるということである。この事は、自分の思索と強迫の思索とを自分がはっきり分けられる事に相当し、それが反復強迫、強迫障害の治療の第一歩であり、これを前提にして初めて「関心を移す」という治療が効力を発揮するのである。この大事さはいかに強調しても強調しすぎる事はない。

     

     

     

    | 1.サイコセラピー | 11:34 | - | - | - | - |