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青葉心理クリニック

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マルクスは優しい
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    非常事態宣言に基づく自粛期間に、こういう時でないとできない何かまとまった事をしようと思い、久々に資本論を読み直してみようと決めた。資本論ははじめが一番難しいのは知っていたので、その部分だけでもと軽く考えたのだが、読み出すと若い頃読んだマルクスと全く違うマルクスが現れてきて、深みにはまってしまい、マルクスの初期の作品、「ユダヤ人問題によせて」、「経済学、哲学草稿」を実家の本棚から数十年ぶりに引っ張り出して読み、さらにはその関連でエンゲルスの「フォイエルバッハ論」を新たに注文することになった。一方、「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」が新訳が出たのをきっかけに読み始めたが、受験で日本史選択であったためフランス革命の歴史に疎い事を知らされ、そちらはまず F. ブリュシュ「フランス革命史」を読み終えてからという事で中断している。
    今、私の目に屹立しているマルクスは、若い時にやはり屹立していたマルクスなのは変わりない、つまり、法、政治、哲学、人間学、社会学などの幅広いジャンルにまたがり、「人間」を観察する事で現実を捉えた偉大な思想家ということでは変わりないのであるが、読むという個人と個人の契機は、若い時に読んだマルクスの人間像とは違うマルクスを、耳従う年齢になった今、新たに現出したのであろう。そのマルクスは『優しい』のである。


    ここまで書いた時に、ネットで『ディオールの豪華なドレスはインドの「奴隷商人」の手で作られる』courrier.jp というニューヨーク・タイムズの記事を見ました。ここで書かれている「ファッション業界の暗部」はマルクスが資本論の中で述べている「イギリス皇太子妃の舞踏会のために、貴婦人たちの衣装を魔法使いさながらに瞬時のうちに仕立て上げねばならなかったために26時間半休みなく働き死んでいった少女たちの過酷すぎる労働」と同型と言えると思う。2020年になっても、1830年代にマルクスが見た地獄が、まだ解消されず、この世に存在しているのである。人間というのは進歩しないものだという評論では済まない現実があるのだ。資本主義が制限を加えられなかった時に暴走する凶暴な面が今蘇っている事を目を逸らさずにまず見なくてはいけない。二極化が進行しているとはそういう事なのでしょう。


    ここからは、今の私のマルクス観です。正しい、間違っているとかは別のことで、私の主観的なマルクスである。先ほど書いた1830年代の一方ではタコ部屋の様なところで26時間半休みなく働かされてきらびやかなドレスを仕立てている少女がいる同じ世界で、そのドレスを着て舞踏に興じる女性がいる、それが社会に現れた「疎外」であり、その現実を直視するマルクスの心情に「優しさ」を感じるのです。マルクスはその「優しさ」から、この疎外を解消するために、フォイエルバッハを通して、神に頼ることなく、資本主義の中で、人間関係の改革を、議会制民主主義の中で成し遂げようとしたのです。それがマルクスのいう革命であり、暴力革命はのちにレーニンが言い出したことで、マルクスはそんなことは言っていないのです。
    マルクスはプロレタリアートではありません。ブルジョアです。ブルジョアとして、プロレタリアートを直視し、神様や来世に頼ることなく、現実社会、人間関係を分析し、その変革で、決して暴力革命ではなく、疎外を解消しようとしたのです。彼の戦場は議会であり、議会で多数をとることにより、資本主義に制限を加えること、それも人間関係を変えていく事を目的として、疎外を解消しようとしていたのです。マルクスは資本論を書いたときにロンドンで毎日労働者を見ていたと言います。その目に「優しさ」を感じるのです。
    以前のブログで、キリスト教で言う隣人愛と論語で言う仁について書きましたが、孟子に「惻隠の心は仁の端なり」とありますが、「優しさ」とは惻隠の心なのでしょう。以前にブログで述べた吉本隆明の「カール・マルクス」からの引用で「思想と実践とを媒介するものは意志と情熱とに他ならない」というものがありますが、ここで言う意志と情熱が、私が感じた「優しさ」なのだと思うのです。

     

    | 1.サイコセラピー | 07:52 | - | - | - | - |