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青葉心理クリニック

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別れ、出会い
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    もうじき10月になるが、普通の医者をセミリタイアして、今の仕事を始めて13年になる。その間に、公私共に色々な方々との出会い、別れを繰り返してきた。仕事でお会いするのは、カウンセリングであるから、来られる方は不遇を託っておられる方々が多いのは言うまでもない。「不遇」という言葉の意味は、能力を持ちながら運悪くそれが認められないことであるが「運悪く」という言葉にまとめられてしまう、実際の出来ごとに、それぞれの方の物語があるのだと感じる。クライアントとの出会い方は場所が人為的に設定したカウンセリングの場であるから、外面的には皆さん同じであるが、別れ方は様々である。飛躍、停滞、落下、不明、抽象化してしまうとそういう言葉で表されてしまうが、そこには抽象化されない個人のそれぞれの物語がある。私的には、出会いは様々な時期に、様々な出会い方をして来たのだが、別れは、最近は死別であったり、認知症であったりする事が多い。そこにも抽象しきれない物語がある。

    さて、出会い、別れというと、普通には男女間のことを思われる方が多いと思う。脳科学的視点からは、それは男の脳、女の脳の別れという事になる。人間にとって女の脳がデフォルトであり、妊娠8週でテストステロンに暴露される事でデフォルトから男の脳はつくられる。元が同じだから、或いは同じ人間だからといっても、生まれてくる時には既に女の脳、男の脳はちがっているのである。この違いの原因を継時的にホルモンへの被爆、例えば男はテストステロンとバゾプレッシン、女性はエストロゲンとオキシトシン、で述べていくと脳科学的な発達理論が出来上がるのだが、それはまた別の機会にして、このブログの文脈で必要となるのは、男性と女性で脳に作用するホルモンが違う事が、男女の脳に異なった構造を与え、その違いが同じものを経験しても、男女で異なった現実理解を生じさせるという事を理解していただきたい事である。この違いが実は両性を結びつけるには絶望的な深淵なのである。同床異夢という言葉があるが、実は同床ですらないのかもしれない。男女は異なる現実を生きているのである。

     

    この違いによって生じる男女の行動パターンの違いを、脳科学的な表現をあえて現象的に表現すれば、男性は「fight or flight」(闘争か、逃避か)になり、女性は 「tend and befriend」(世話し、かつ 友となる。ここでのtend は 看護する、世話するという意味である。)となる。この表現は単純すぎると思われるかもしれないが、男女のもつれにおいて、もつれればもつれるほどその姿を表すものであり、異性愛のパートナーとの間で、どうすることもできないもつれが生じたときに、もつれをほどくためにまさに「原点」なのだと思う。 この違いが、男性に他者から独立することに自尊心を与え、女性には他者との密接な関係を築くことに自尊心を与えるのである。この関係を基盤にして、男性は睾丸からのテストステロンにより、会話、社交への関心が低下させられ(唯一の例外が性的なことへの関心である)、女性は卵巣からのエストロゲンにより会話、社交への傾向を与えるドーパミンとオキシトシンが分泌され、それはオーガスムに次ぐ二番目の快楽なのである。同じ脳から出発しながら、成長のプログラムに沿って、ある時期にあるホルモンが働くことで、男女の脳はある意味別物といってもいいぐらい、違ったものになってしまうのである。この事が男女の行動パターンを違うものにしてしまうのである。これはわれわれ人間が長い長い原始人としての時間を過ごして来たために、そこで生存していく目的に合わせて、合目的に役割を分担したことによる進化の痕跡なのであろう。適者生存の進化の圧力が男女の役割を決め、それが脳の構造を変えていったのであろう。 あまりに、即物的だと思われるかも知れないが、これが残念ながら科学的事実なのだと思う。それは、古代ユダヤの預言者の「So was it written , So shall it be done.」(かくのごとく記されたり、かくのごとく行われん。)と同じなのである。これが人間の男女の運命なのであろう。さらに話をややっこしくするのが、ホルモン変化による脳内のある働きを持つ領域の拡大、収縮に我々は人間的意味を与えそれで、その理論の中で思考することでその変化に意味を与えて理解しようとする。しかし、そのやり方は新たなホルモンの状態を思考で置き換え、すでに自分が知っているものに結びつけて理解しようとする、ラカンに言わせると想像的な、レヴィナスにいわせると独学者の理解の仕方なのである。それでは今まで経験したことのない新しい状況には対処出来ない。その人はそれまでの世界から出ていない。

     

    しかし、ハイデッカーのいうがごとく、人間は閉じ込められた世界を超えいでる可能性を持っていると考えたときに、そこに制約された中での自由を獲得することに本来に生きかたがあるのではないかと思う。そう考えた時に、これほど脳の構造が違ったしまった男女を結びつけるのが、或いは媒介するのが「愛」なのではないかとおもう。幻覚、妄想の類なのかもしれない。しかし、それがあることが出会いを生み、それが雲散霧消すると別れが生じるのだと思う。別れに直面したときに、想像的な、あるいは独学者的な思考から離れ、(進化の圧力やホルモンの作用を)象徴的に理解できる思考の方法をもつことが新たな出会いを創り出すことができるのではないかと思う。(これも幻想か?)

    | 1.サイコセラピー | 07:34 | - | - | - | - |