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青葉心理クリニック

<< 作為の契機 その2 | main | 『他者』 >>
患者は医者を選べるが、医者は患者を選べない。
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    『患者は医者を選べるが、医者は患者を選べない。』 この言葉は、私が医者になりたての頃に、虎の門病院の当時副院長の三村信英先生から言われた言葉である。当時は多少の違和感のある言葉であったが、先生の普段の生き方に身近で接していたことで納得せざるをえなくて、盲目的に従ってきた。今でも診察時にはこの言葉を忘れた事がない。いまでは全く違和感はなくなったが、自分がこの言葉を自分で若い先生に伝えてもなかなか理解してもらえない。改めてこの言葉を自分でどう解釈して来たかを述べなくてはならない年齢になったと思う。ドイツ語に、Beruf という言葉がある。辞書的には「職業」という意味であるが、かって大塚久雄がマックスウエーバーのプロスタンティズムの倫理と資本主義の精神を訳す時に、この Beruf の訳を悩んで「天職」と訳したというエピソードがある。それは、「あたかも労働が絶対的な自己目的ー(Beruf :天職)ーであるかのように励むという心情」という事があるからである。つまり、(Beruf としての)職業は神からの召命であるということである。天職に恥じないように医師として働けというのが、三村先生のおっしゃりたかったことだったと、今の私は(勝手に)理解している。なぜ、職業が召命なのか?それは、修道院で言われた「祈りかつ働け」という事がそこに有り、更にそれは、予定調和説に立つキリスト教での「救い」に直結するのであろう。もし、医者が患者を選んだら、それは神の召命を拒否したことになる。鈴木正三という禅僧が、農民から「仏行に励めと言われても、農業が忙しくて、仏行にはげむ時間がない」と相談されたときに「農業即仏行なり」と答えたという話があるが、職業を仏行、天職とすることしか「救い」の道はないとしたら、それなりの職業への取り組みがあるということを忘れてはいけない。それは始原を忘れないこと。医者になろうとしたときに自分が何を思ったかを忘れない事だと思う。私事だが、職業としての医師は、自分の専門知識を使って困っている人を助ける者だと思う。それに邁進していく事が天職としての職業で有り、そうする事で、もしお金が貯まって金持ちになるのであればそれでよいし、自家用飛行機を持とうが、何をしようが構わないと思う。しかし、資本主義の精神が失われたこの時代に、医師といえどもその影響は受けるので、金もうけを目的に医師になるのも仕方ないとは思うが、それでは「祈りかつ働く」とはいえず、天職とは言えないと思う。利潤を出さなければ病院が成り立たないのは仕方ないが、せめて『患者を選ばない』事は心においてほしいと言うのが老婆心である。
    | 2.エッセイ | 22:42 | - | - | - | - |