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青葉心理クリニック

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作為の契機 その2
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    仙台で今の仕事を始めて10年を過ぎ、本来であれば、例年のごとく、昨年一年の総括の他に、この10年をまとめ、新年へ向けて方針を述べるべきなのだろうが、年末から喪中であるため、今回はそのような事は差し控えたいと思う。よって、前回のブログの続きを書きながら、その中で脱線して昨年の事に触れる事でもあればそれで代わりとしたい。 もう何十年も前に、ある経済学者から、日本社会の構造的欠陥は、本来は下部組織であるはずの、会社、官庁、学校という、本来はなんらかの機能を司る機能的集団が運命共同体になってしまうことで、このエートスは、戦前も今(昭和50年代)も変わっていないし、敗戦により天皇制とそれと同型の農村共同体が崩壊したことにより、共同体論理と対立するものがなくなってしまった為に、却って強化されているということを聞いたのであるが、彼の慧眼は現在の日本の世相を正しく予言していたことになる。このエートスが、たとえ日本国内のことであろうと、憲法、法律よりも、運命共同体化した、それぞれの組織の論理を優先させ、この国の論理を二重化させてしまった。建て前と本音と言う表現では包括し切れない醜悪なダブル・スタンダードの国になってしまった。今はあまり聞かなくなったが、日本人がエコノミック・アニマルと揶揄された頃、日本では紳士然とした方々が、一度海外に出るや買春に走り、現地で顰蹙を買う事があったが、これなどは共同体の外、しかも国外という事になると、大脳新皮質の抑制が外れ、野獣化してしまうということである。運命共同体の中だけ、その共同体独特の倫理を守りさえすればいいということになる。共同体の中でのみ紳士であれば良いのである。心に神をもたず、共同体の中にしか神はいないということであろうか。 振り込め詐欺はもちろん犯罪として処罰されるが、官僚は経済政策の失敗で税金をドブに捨てようが、政策決定の書類を無くそうが、誰も責任を問われない。これは、真珠湾攻撃の前に宣戦布告を怠った駐米大使がその後も順調に出世したことから分かるように、同じ国に住みながら所属する共同体がちがうと、規範さえちがうということである。しかも、運命共同体化している日本の組織では、そこに属する個人がその共同体から外れた瞬間に、今までの生活を維持する事は極度に困難になる。 余談だが、こういう見方を、日馬富士の暴行事件における貴乃花と相撲協会の関係に適応するとマスコミの説明とはちがうものが出て来る。本来暴行事件をその場で見た人は第三者であろうが、すみやかに警察に連絡する義務があるし、また被害者の保護のために救急車の要請をすべきであろう。まして、第三者ではなく、直接の関係者、しかも他の力士の模範となるべき横綱がいたのであるから、本来はそれを怠ったことこそが第一に責められるべきであり、後日事実を知った貴ノ花が警察にしか訴えず、相撲協会に何らの連絡もしない事が一番に責められていることはあまりに理不尽ではないか。相撲協会というまさに典型的な運命共同体であり、、元検事をその長とするなんとか委員会などは共同体内の組織に過ぎないし、捜査権も何も無い。暴行事件という刑法上の犯罪には、警察、検察にしか捜査権はないのだから、少なくとも起訴の有無がはっきりするまでは、共同体の中で処分しようとするのは、いわゆるリンチなのではないか。 基本的人権という人間ならば誰にでも保障されているはずの権利が本来は機能的集団にすぎない組織が運命共同体化してしまっている事で軋轢を生じているというのが、ブラック企業のみならず、全ての会社、役所、学校で起きている問題なのではないのか、そういう思いを強くした一年であった。 社会制度は人間が作った物だから、変えられるのだということを、彼女が目指したものは疑問はあるが、具体的にチャレンジして空中分解したのが、小池百合子であった。チャレンジした事だけは、ほかの議員の男どもが盲従する中で、評価したいが、何故失敗したかを分析したい。それは、昔高校時代に漢文で習った李斯の「逐客を諌める書」にある  「泰山は土壌を譲らず、故によくその大を成す、河海は細流を択ばず、故にその深をなす、王者は衆庶を却けず、故にその徳を明らかにす。」 で明らかである。彼女は私と同い年なので、高校時代にこの漢文に接しているはずである。歴史に学ぶというのはこういうことなのではないか。 思い出すと昔、自民党で「加藤紘一の乱」という茶番のようなことがあったが、この乱とも言えない様な乱が自民党内のハト派で あった宏池会の衰退を招き、それがタカ派の福田派の継承である今の安倍派独裁につながったのではないか? とりとめのないブログになってしまったが、自分が閉じ込められている環境世界から抜け出すことが出来るところに、人間とほかの動物を分けるものがあるのであり、そういう意思を持った生き方ができるかどうかである。
    | 2.エッセイ | 09:47 | - | - | - | - |