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青葉心理クリニック

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作為の契機
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    ストレスチェックが広く行われるようになり、「〜病」とカテゴライズできない、つまり過大なストレスに悩みながらも、社会生活、家庭生活を普通に営んでおられるいわゆる普通の方々とお会いすることが多くなり、医学部で習う事があまり役に立たない、むしろ社会科学でしか分析のできない事が多くなったように感じる。 簡単に言うと、本来なら三人で行う仕事の量が、人員削減で一人でしなくてはならなくなったなら、単純計算で一日八時間労働として3人分で24時間、それを一人でしたら丸一日かかる訳で、それで平気で社会生活、家庭生活を送れたとしたら、その方が不思議ではないのか? 新聞紙上で、学校でのいじめ、不登校に関して自殺者が出て、情報開示が当たり前のように唱えられているのに、現場では学校ぐるみの隠蔽が堂々と行われていて、それでいじめや不登校をなくす事ができたらこれもまた不思議ではないか?さらに言えば、上司からのパワハラで、鬱になった方に、太陽に当たって(セロトニンをあげて)症状を良くしようとするということに疑問を感じないのか? 例をあげるとキリがないのであるが、個人と組織の関係で起きている問題がこれだけ多いのに、組織を変えるという事は手を付けずに、個人を変えようとしているようにしか思えない事が多い。 この点について、丸山眞男が言った「作為の契機」に基づいて分析を行うと、日本人は自分の属する組織に対する帰属意識が優先し、つまり日本国よりも、属する会社、組織が共同体になってしまっていて、その結果、直接的な人間関係が規範化されてしまう。さらに規範化されたものは、それが自分達が作り出したものであることが、つまり始原の事実がやがて忘れ去られ、元々は自分たちが規範化したものにただ従うだけ、もう自分たちでは変えられないものとして、その中でのみ生きて行くことになる。どういう訳か、それが最近強くなってきている所に、ストレスチェックで引っかかる人が増えている大きな要因があるのではないかと思うのである。始原を忘れることで、あたかもそれが自分たちには変えられないと思い込む、というより無意識的に支配されている事が問題なのだ。社会制度は「作為の契機」なのであり、自分たちで変えられることなのである。組織は変えられるのである。 資本主義の精神はキリスト教にあるというのはウエーバーのいうとおりであるが、キリスト教は、相手が神様でも契約を変える事が出来る。だから聖書に、新約、旧約があるのだ。契約を変えられないのはイスラム教である。 このような世相を分析していると、そのメカニズムはパラノイアのそれと同型ではないかとという気になってくる。 ハイデッガーは、人間のみがその環境世界を超えいでる事が出来る、他の生物は自分の環境世界に閉じ込められ、その世界から出る事ができないと言ったが、今の世相から言うと、われわれは、我々の世界から出る事が出来なくなってしまったのではないか? 人間が人間らしく生きれなくなっているわけだから、ストレスチェックに引っかからない人のほうが、じつは本来的生き方ができていない(頽落)ということになるのではないか? ハイデッカーがよく言葉の語源にもどって解釈をしているが、それは始原を取り戻し、生成途中にある不在ということを我々に示すためだったのではないか? 作為の契機を明らかにして、もともとは我々が作り出したにすぎないものに無頭的に支配されない主体的な生き方が、「過去を不断に捉え直しをして、その有限な未来に向かって、現在を生き生きとして生きていく」ことを可能にしてくれると思う。
    | 2.エッセイ | 19:58 | - | - | - | - |