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青葉心理クリニック

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内心の自由
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    内心の自由

     

    正直なところ、この年齢になって、「内心の自由」についてこの様な文章を書くことになるとは思ってもみなかった。そもそものきっかけは東京都議選の安倍首相の街頭演説なのであるが、その後、菅官房長官が公式にこの首相の発言には何ら問題がないといい、それに対するマスコミの反応が情緒的すぎると感じたことにある。

     

    さて、カウンセリングで一番大切なことは「共感」であると前にも何度か述べているが、その前提になることが、クライエントの内心の自由の尊重である。これは私見ではあるが、もしカウンセラーがクライエントの内心に直接土足で踏み込む様な、あるいは内心を否定する様なことをした時、それはカウンセリングが「暗示」に堕ちてしまうのだと思う。

     

    内心の自由の由来は、神が自身が創った世界に対して絶対的であるのと同じ理由で、人は自身の心に対して絶対的であるということなのだと思う。キリスト教の真の信仰は、内面の信仰であり、外に現れる行動ではないというのと同型の考え方である。1700年代に啓蒙専制君主の典型とされるフリードリヒ2世が、「反対するのは自由である。ただし服従せよ」と言っているが、それから200年以上経過した(進歩した?)我々の世代で、専制国家より以前の認識を公に聞かされるとは思わなかった。 言論の自由は、内心の自由によって保証される。首相は、自分の信条、思想に全面的に攻撃してくる者の言い分も聞き、それも国民の一つの意見だとして尊重しなければならない。それが近代デモクラシーの権力者として当たり前のことである。人の内面に対して、外面的制裁を加えるということは、(専制国家でも)あってはならないことである。首相は、ヤジに対して感情の赴くままに発言してしまったわけで、これは近代デモクラシーの否定であり、それを擁護した官房長官は首相の発言のデモクラシーに対する意味がわからず、さらに自分の無知をさらけ出してしまったのである。本来なら、反デモクラシーの発言と、その擁護なので、お二人とも議員辞職は当たり前なのだが、不思議にそうならない。

     

    それはマスコミが機能不全であることがその一因だと思う。 先日成立した共謀罪というのは、例えば不逞の輩が徒党を組んだ、あるいは組みそうだと権力者が判断した時に、それを処罰することができるというものである。近代デモクラシーの権力者は、不快だと思うまでは自由であるが、それを権力を使って外面的な行動がないのに処罰することは、個人の内心に侵入することなので許されることではないのだが、それを可能とする法律なので、フリードリヒ2世より以前の時代に退行しているということになる。この様な権力の行使は近代デモクラシーの権力者は自制しなくてはいけないし、この様な権力の行使を認めない様に監視するのがジャーナリズムの働きなのであるが、例えば、家計事件における読売新聞の前川元文部省事務次官に対する報道は、その情報源は警察だそうであるが、事務次官としての仕事ではなく、取るに足りない倫理的なことで記事にしたことは、ジャーナリズムの機能の自己放棄であろう。

     

    内心の自由というのは最も基本的な自由であることを、そしてデモクラシーにとってその肝であることを他ならぬ自由民主党の方々にお分かりいただきたい。

     

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