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青葉心理クリニック

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倒錯について 9
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    A First Symbolization

     

    ここで特に言及すべき大事なことの一つは、意識から放り出されるのが思考であるなら、その時少なくとも最初の象徴化は行われていたということである。すなわち、倒錯において、父に関係する何か、そして息子を母親から分離しようとする父の意志が象徴化され、精神病とは対照的に、象徴的な分離者としての父親の最初の受け入れすなわち Bejanung 肯定、是認 (admission 承認、容認)が起こる。フロイトが治療した倒錯患者についてのフロイトの臨床報告を我々が理論化したものに基づき、去勢に関係した症候が形成されるので、父は少なくともある程度象徴化されると主張できる。

     

    13) 言葉を変えると、何らかの抑圧が起こっていたのである。何かが意識の外に押し出されるなら、それは初めは意識の中にあったのであり、象徴化されていたのでなければならないことに注意せよ。

     

    しかしそれでもこの象徴化は神経症で成し遂げられるほど完璧ではない。 ここでの私の目標は抑圧とは明らかに異なったメカニズムとしての否認をフロイトが確定的な定義をしていないことを徹底的に批判することではないので、ラカンの思考の文脈の中で、我々が参考にして否認と取れると私が思うことを最初にお示ししようと思います。( 私が知りうる限りでは、ラカンは否認をこれから私がしようとする様には決して明確には述べていませんが。)そしてその上でフロイトのいくつかの議論をラカンの用語になおしたいと思います。つまり、the Other 大文字の他者 と the sacrifice of jouissance 享楽の犠牲 という用語です。ここでの私の主張はフロイトがしようとした区別の方法とは違いますが、否認は抑圧からははっきり区別することができるメカニズムだということです。 原抑圧、排除と同様に、否認は父に関わっています。すなわち、父の欲望、父の名、そして父の法です。神経症、精神病、倒錯、の3つの本質的な精神分析の範疇はこれら3つのメカニズムから構成されますが、すべて父の機能と関係しています。(我々の社会では父の機能は典型的には子供の父によって成し遂げられる。)この点はフロイトの著作の中では、ラカンの著作の中ほどには明確ではない。この点で、ラカンはフロイトの著作を体系化したと見なしうる。

     

    14) 言語、法、象徴界の重要性に重きを置かない理論家や実践家はラカンがフロイトを不適切に体系化し、母親の大切さを無視してきたと考えがちである。しかし、フロイトを丹念に読めば誰でもわかる通りフロイトの著作を通して父は極めて重大である。ラカンは単に前エディプス期の重大さを強調するフロイトの批判者に論駁する手段をフロイト派の人たちに提供したに過ぎない。すなわち、言語と法の出現に伴い、前エディプス期は書き換えられ、上書きされる。「前性器期はエディプス・コンプレックスの遡及的効果によって体系化される」(Ecrits, 554/197)

     

    エディプス・コンプレックスは、それに時間的に先行するものに対して遡及的効果を及ぼし、それが象徴的な操作であることを暗示する。意味する過程にとっては、セットに新しいシニフィアンが加わること(例えば、「father’s NO!」が、[name-of the-father, father’s name, name give by father]のセットに加わる)が以前言われたことの意味を変化させる。精神分析では話すことが勝手に使える唯一の道具であるから、分析家として我々が扱っているのは遡及的に構成される意味に他ならず、それらに先立つ前エディプス的な関係ではない。 7章で見たように、フロイトはパラノイアを同性愛の衝動に対する防衛から生じるとしたが、ラカンは同性愛は精神病を理解するのに的外れではないが、むしろ父の名の排除 foreclosure の結果であるという。同性愛に対する防衛は精神病の原因ではなく、排除の副産物となるのである。同様に、フェティシュな対象はフェティストの意識の中で俗に母のファルスと呼ばれるものと関係しているというフロイトの概念はラカンの考え方からは不適切なものではないが、むしろ、父、父の欲望、父の法の見地から理解されるのである。母のファルスを確信することは後で見るように、母の欲望を作り出す欠如が父によって神経症の場合のように、相殺されていない、すなわち名付けられていないことが示される。

     

    15) これはラカンのカテゴリーを使うことでフロイトの用語を明確にされる必要がある例の一つである。すなわち、フェティストは彼の母親がペニスを持っていると信じている。そのペニスは実際の、生物学的なもので、ファルスではない、というのはファルスはシンボルだから。言い換えると、ファルスは象徴的秩序の重要部分だあるということである。ラカンは漠然と子供が盲信しているその器官を 想像的ファルス the imaginary phallus ということがあるが、子供が母が持っていると想像する実際の(器官としての)ペニスを意味すると理解されるべきである。

     

    言い方を変えると、ラカンはフロイトの観察が不適切だと考えているのではなく、それをより広い理論的枠組みに包摂しているのである。

     

    ラカンの見方からは、否認に内在する明らかな矛盾は、私には、以下のように記述されると思われる。「僕はお父さんが僕にお母さんやお母さんがいることで(実際に、あるいはまた、幻想の中で想像された)得られる享楽を諦めるように無理強いしないし、できないことを強要しないこともよくわかっている。でも僕はお父さんの代わりの誰かと,このような強制や強要を演じようと思う。その人に法を宣言させよう。」この明確な記述は、後で見るようにサディストやフェティシストよりもサディストによりよく当てはまるが、否認が父親の機能に関してのある企てあるいは見せかけを意味していることを示すには十分である。

    | 1.サイコセラピー | 05:08 | - | - | - | - |