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青葉心理クリニック

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新しい臨床心理学のために 30
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    新しい臨床心理学のために 30 

    The foreclosure of the Name-of-Father:精神病過程へのアプローチ


    心的主体、それ自体を設立するという点で父の名の隠喩は構造化する機能を持っている。同じ理由で、もし原抑圧の過程を何かが妨げれば、父の名の隠喩は起らない。フロイトの仕事に基づいてラカンは主体について独創的な考えを展開している。

     「父の名への呼びかけに答えられる主体の位置の状況を考える際に、もし実際の父がいない場合、この不在は父の名のシニフィアンの存在とは矛盾しませんから、その不在によってではなく、そのシニフィアン、それ自体の不適格によって考えてみましょう。  フロイトの著作から術語を抽出してみましょう。この術語がそれらの著作の中で抑圧されたものとは区別される無意識の作用を示さないなら、その著作が不適格になってしまうぐらい、その用語は有効性を十分に証明されています。私の(ラカンの)精神病のセミナーで核心として示されたように、即ち、この術語が、フロイトが精神病の現象を理解するようになった時の彼の思考に最も欠く事の出来ないもので、それはVerwerfung(排除)という術語です。」

     Verwerfung(foreclosure と訳される。)は、まさに原抑圧を失敗させうるメカニズムのように思われる。これはフロイトがメタ心理学的にノイローゼと精神病の区別をしてきた事へのラカンの独創的寄与の核心となる事である。 
    19世紀後半から、この区別を理論的に適切に、臨床的に操作的にして公式化する事が必要だと精神医学的思考は突き動かされてきた。考えの主軸は精神病が心因性であると言う仮説を試す事に焦点を当ててきた。この点においてフロイトの仕事は根本的な大変動であった。二重に破壊的だと言っても良いかもしれない。第一にフロイトは当時の器質因的仮説ときっぱり手を切ったから、そして、次には、精神病という概念を分析理論を用いる事で、心因性だと示すデータを示す事が出来たが、それは少なくとも独創的と言えるものであったし、その考えは全く大胆なものであったからだ。即ち、フロイトは当初はノイローゼの病因論に当てられていた理論体系の中で、精神病過程の特性に取り組んだ。彼は単に質的、鑑別的な考察ではなく、構造的考察を議論のベースに据えようとした。
    革新的なものではあったが、フロイトの精神病の分析概念は精神病過程の病因としての詳しい説明を与えるという点では不十分だった。特に、ノイローゼと精神病の構造的差異に十分な捜査的基準に我々が達する事を可能にする様にはフロイトの進めた理論的な議論を進める事は出来なかった。フロイトの精神病の考え方はどういうわけか、当時の精神科概念によって重複決定されていた。この事を明確に示すのはこの重複決定が多分、フロイトが精神病において現実に対する主体の関係をどう考えたかによるのだと思う。 
    フロイトが最初、精神病過程を「現実の喪失」と 「それと相互に関連した主体への影響」、つまり、妄想という形で、彼が切り離された現実を再構成する必要と言う言葉で定義しようとした。断固とした分析の視点から精神病の2つの側面にアプローチしながら、「効果に対する原因」の関係(因果関係)として、「現実の喪失」と「妄想的な構成」を彼に見させる当時の精神科学的固定観念(イディオロギー)にとらわれたままであった。結果として、この2つの精神的な表現のサインの間の擬似論理的な相互関係を与えられて、妄想的症候を精神病の診断基準だとほとんど仮定する事になった。
    この症候学的論点が全部としては問題だと言う事を別にして、フロイトは彼の晩年に現実喪失の問題が関係する限りだが、ノイローゼと精神病の両者に、よりニュアンスの違いをつけた区分を発展させている。ノイローゼ的主体が現実を避ける(fleeing) のに対して、精神病主体はそれを否定する(disavow)と述べた。Ichspaltung(splitting of the ego) 自我の分裂について、より深い考察によってこのような見直しがされた。そうすると、「現実の喪失」は部分的な破損にすぎない事になる。なぜなら、自我の一部だけが精神病によって切り離されるにすぎないからである。さらに言えば、自我の分裂は精神病だけではなく、フェティシュの問題で既にそう考えていたのだが、ノイローゼや倒錯でも存在するかもしれない。 簡単に言うと、「現実の喪失」がこれらでも出来る以上、精神病からノイローゼを区別するためのメタ心理学的基準を「自我の分裂」はなしえないという事になる。 
    ラカンはフロイトの心的分裂の概念を、我々がここまで考慮してきた事柄、即ち父の名の隠喩の結果についての見事な記述に変換した。 ラカンに排除が精神病過程を区別する操作的なメタ心理学的基準だと断定させたのは主にこれらの結果の一つによる。第一に、ラカンによれば、排除の概念はなぜノイローゼには特徴的あるメカニズム(特に抑圧)が精神病の過程の出現を説明しないのかを理解させてくれた。第二に、排除のメカニズムが特に父の名という一つのシニフィアンに作用した時にどのように排除のメカニズムが精神病過程を特定するかを見る事が出来る。この後者の点でこそ、ラカンはフロイトの思想に明確な貢献をするのである。もし父の名の隠喩の排除が大文字の他者の場所で起れば父の名の隠喩は頓挫し、この事がラカンによれば、この欠陥が精神病をノイローゼと区別する精神病の本質的条件と構造を精神病に与えるという。
     言い換えると、 父の名の排除は原抑圧が起るのを阻止し、同時に父の名の隠喩を頓挫させ、子供が象徴的なものに接近する事を危険にさらし、妨害する。欲望の領域での構造的進歩は中断し、子供は蒼古的構造、つまり母との想像的双数関係に捉えられて動かなくなってしまう。 
    Patrisによって報告された臨床研究の一つに父の名の排除の影響のすぐれた例証がある。リトル・アンと言う少女の症例報告でPatrisは父の名の機能が失敗したケースによく認められる2つの要素を明確に記述した。 第一に、母のディスクールの中でこの(父の名という)シニフィアンが否定された場合に、父に名の排除が起る。 第二に、「母の家庭でファルスの循環」がある場合に、この循環が象徴的父を除外し、象徴的去勢を確立する父の法を象徴化する如何なる可能性もまた除外する。 これらの2つの臨床的な要素の中に精神病過程の出現でのシニフィアンの原因というラカンの考え方の一つの流れを見るのである。

     「私が強調したいのは、我々は母が父と言う個人に合わせるその方法だけではなく、また母が父の母が父のパロールに与える重要性、はっきり言えば、父の権威、即ち父の名が法を公布するために母が保持している場所への重要性にも関心を向けるべきである、ということである。」

    ここで、 しばしラカンの精神病への接近から離れよう。後でこの主題に戻らなければならないが、父の名の隠喩の他の基本的な帰結、即ち「主体の分裂」Spaltungとこの分裂の妄想的ディスクールに及ぼす影響を検討した後にしよう。
    | 臨床心理学 | 23:47 | - | - | - | - |