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青葉心理クリニック

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新しい臨床心理学のために 29
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    新しい臨床心理学のために 29 

     父の隠喩−父の名−欲望の換喩 

     (1) Fort-da 遊び 

    フロイトが「快楽原則の悲願」で描いた fort-da のゲームは、子供が象徴的支配に同意したから、父の名の隠喩 即ち、失われた対象の象徴的支配を成し遂げた事を見事に描き出している。この事は母親が子供に邪魔をされずに出かける事を許す事が出来るようになった文化的な達成であり、衝動の断念(衝動の満足の断念)である。シニフィアンの代入の例としてこれ以上のものはない。この「fort-da 遊び」は2つの隠喩的過程を持つ。まず、糸巻きが母親の隠喩である。ついで、fort-da 遊び、つまり在/不在の遊び が 母が来る/母がいなくなる を隠喩的に、かつ象徴化して示している。加えて子供はそうする事で状況を自分が有利になるように代えた事が大切である。子供は以前は受け身で、体験に圧倒されていたが、状況をゲームとして繰り返す事で能動的役割を演じられるようになる。子供は状況を逆転し、ここから先では母親を象徴的に捨てるのは子供となる。この象徴的逆転は象徴的支配が行われた事の最も明白な証拠である。すなわち(母親を糸巻きにした)同一化を通して「不在」を支配したのである。母はかってはいなくなる事で子供を拒否したが、今や子供は糸巻きを投げる事で母を拒否し、失われた対象、すなわち母の不在をコントロールする事に大きな喜びを感じる。言葉を代えると、fort-daのゲームでは、子供が自身を母の欲望の対象、即ち大文字の他者の欠如を埋め合わせる対象ではないという事実を真に理解する。子供は今や主体としての自身の欲望を失われた対象の方へと移動させる事が出来る。とりわけ、言語の出現(象徴的登録にアクセスすること)は。疑いの余地のない、象徴的な「失われた対象」の支配であり、それは父の隠喩によって、つまり原抑圧に基礎付けられる行為によってである。
     
      (2) 原抑圧

     原抑圧は隠喩化の基本的な構築過程であり、まさに「法」の原初的象徴化の行為である。これは「ファルス」というシニフィアンへの「父の名」というシニフィアンの代入により成し遂げられる。 この象徴化の意味するものは何か? 直近の経験を、その代理を見つける事で自由になる主体的な経験をすることである。これがラカンの決まり文句『ものそれ自体は表象されるためには失われなくてはならない』の意味である。 子供の直近の体験は存在の弁証法(ファルスであるのか?ないのか?)で彼がとらわれの身として表現される事に基づく。即ち、母の欲望の唯一の対象である事、母の欠如を埋める対象である事、母のファルスである事と表現される事である。存在の弁証法で体験された事を何か他のもので代理するために子供は所有(ファルスを持つ?持たない?)の次元へのアクセスを得なければならない。しかし、この所有の弁証法的な運動をするためには、子供は彼の直近の体験と、そしてそれを象徴する事を引き出す象徴的な代理の両者から、彼自身を区別する事が前提となる。 他の言葉でいうと 子供が自分自身を主体として、他者の欲望の対象だけには決してしない事を必要とする。この主体の出現はランガージュの最初の活動を通して起り、そこで子供は失われた対象に対する彼の断念を象徴的に表現しようとする。象徴的な命名はファルス的シニフィアン、つまり母の欲望のシニフィアンの抑圧を基礎とする事によってのみ可能となる。このシニフィアン、つまりシニフィアンの連鎖の全体のその後のネットワークを支配するシニフィアンをS1と呼ぼう。

        無意識           話された連鎖                 S1←―――――――――――S2…..S3.....S4…..S5          
                             抑圧 
            
    原抑圧はこのような直近に経験された現実から、それをランガージュとして象徴化する通路を確実に保証する心内作用である。どのようにして原抑圧が父の隠喩へのアクセスを確保するかを理解するために、隠喩的代理物の他の面を見ていこう。隠喩過程は新しいシニフィアンS2が前のシニフィアンS1を意味の横棒の下に押しやり、それを一次的に無意識に保つ。 この過程はfort-daの経験の過程で、そこでは子供は以前は自身の欲望と表現したものを今や彼の母親の在/不在と交替するものとして表現する断念の方法を試すのである。
     オリジナルの欲望の表現は以下のように表される。

     S1/s1 ←→ 母の欲望のシニフィアン/母の欲望という概念:ファルス

     母の不在は父の存在に関係していると子供は捉え、自分の前に母がいない時には母は父といると考える。最初父がライバル的なファルス的対象として現れる時が決定的な時期で、ついで父はファルスを持つものとして仮定される。このようにして子供は母が不在の原因をファルスを持っている父、即ち象徴的父を呼び出す事によって、名指し/名付ける事が出来るようになるやいなやシニフィアンの関係に達する。
    言い換えると、「父の名」は象徴的機能を、萌芽その力を発揮できる場所に限って認定する。この名指しが隠喩の生成物であり、子供にとって父の名は母の欲望のシニフィアンに代わって代入された新しいシニフィアンS2である。 

    「エディプス・コンプレックスにおける父の機能とは、あるシニフィアンの代理、即ち、母のシニフィアンを象徴化に導く最初のシニフィアンを代理するシニフィアンになるという事です。父という点において(この事は前に説明した隠喩の形式として)父が母と場所を取り替え、母はXであった何か、即ち母−子関係において、シニフィフェであった何かに既に結びつけられていたのである。」 

    シニフィアンの代入の過程において、母の欲望のシニフィアンS1は、このように抑圧(原抑圧)の対象となり、無意識となる。父がシニフィアンとして母の代わりをする限りにおいて、隠喩のお定まりの結果が生じるが、その結果は次の公式で表される。

     Name of the Father/Desire of the Mothe・母の欲望/主体にとってのシニフェ →Name of the Father(O/Phallus) 

     この隠喩の公式の中に次の様な一般的な式がある。

     S2/$1・$1/s1 → S2(U/s1) 

    この2番目の公式で使われた用語で、symbol U (Unconscious)は、S1が,S2の代入によって抑圧された事を思い起こさせる。それ以後、S2は母の欲望のシニフェを伴うシニフィアンになり、即ち、Phallusである。はじめの公式の中で、O(Other)で象徴化される、この抑圧の印を認める事が出来る。他者(Other)の中におけるシニフィアンの存在は実際には主体に閉ざされた存在である。なぜなら、それは通常、抑圧(verdraengt)の状態にあり続けるし、反復強迫(Wiederholungszwang)という方法で意味される、それ自体の代理としてあり続けるからである。 事実、反復強迫は以下の結論を導く: 

    「父」を名付ける事によって子供は実際さらにいっそう彼の欲望のおおもとの対象を名付け続ける。しかし、今やこの対象は無意識になったのだから、このおおもとの対象を隠喩的に名付け続けるのである。従ってランガージュと言う象徴は主体の知らない間に行われる名指しという形で欲望のおおもとの対象の永続性を表現しようとする。 これはラカンによると、こういう事になる。 「ランガージュは、間主観的コミュニケーションの象徴的登録により、その表現を社会化する事によって、原初の対象の表現を永続化させる。この事はまたエディプス・コンプレックスにおいて何が本質的に問題になっているかを明らかにする。父の名の隠喩は去勢の実現の証拠となる。それは知性によってのみ理解できる象徴的去勢としての次元でのみ理解できる。これがファルスがエディプスの過程の最後に想像的対象の象徴的欠如として現れる理由である。」

       (3) 欲望の換喩 

    原抑圧と父の名の隠喩によって、ランガージュの仲介が欲望に課される。より正確には、ランガージュの中で疎外されるのは父のシニフィアンによってである。パロールになる事によって、欲望はもはや欲望自身の反映にすぎなくなる。to have という欲望を好ましいものとして選択して, to beという欲望を子供が抑圧する時に、そのとき以降子供は失われた対象の代理という領域へと自分の欲望を入り込ませざると得なくなる。これを成し遂げるために、欲望は要求(demande)という形でパロールにならなくてはならない。しかし、要求になる事で、欲望は発話の連続体であるシニフィアンの連鎖の中で、どんどん失われていく。実際、欲望は対象から対象へと運ばれていくといえるし、代理物の無限の連鎖へと、また同時にそれらの代理対象を象徴化するシニフィアンの無限の連鎖へと回付される。つまり欲望は主体の知らないまま、主体の資源の欲望を名指し続ける。欲望はランガージュとなったが故に永遠に満たされる事がない。そして生まれ変わり続けるのは、常に基本的には他の場所にあるからであり、現在の対象にあるのではなく、対象を象徴化するであろうシニフィアンの中にあるからである。 
     言葉を代えると、 欲望の通路は換喩的!だということである。子供は父の名の隠喩により、全体(失われた対象)のかわりに、部分(代理の対象)を選択するように要求される。部分としての水平線の帆が全体としての船を指し示すように、欲望は全体(失われた対象)を部分(代理の対象)で表現する事で指し示され続けるのである。

     (4) 結論 

    父の名の隠喩は子供の心も発達の基本的な構築期の始まりを印づける。加えて、子供が象徴的次元に参入する事が、彼を母との想像的従属から解き放つ事になり、彼を欲望する主体の地位に就ける。しかしながら、この獲得は新しい疎外を代価としてのみ行われる。話す存在として欲望の主体となるやいなや、彼の欲望はランガージュの網に捉えられて、始原的な性質は失われる。ここから以降、欲望の対象は、それを換喩的対象へと変換する代理されたシニフィアンによってのみ表される事になる。ラカンによれば、父の名の隠喩は真に構造的な分かれ道で、重大な結末を引き起こす。その影響は大きい。それがうまく行かないと精神病的な過程が生じ、逆にうまくいくと、主体の欲望をランガージュの次元へ疎外するが、それは主体の分裂(Spaltung)を成立させ、彼自身の一部が無意識に存在するように不可逆的に分離する。これらの続きをこれから見ていかなくてはならない。
    | 臨床心理学 | 09:04 | - | - | - | - |