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青葉心理クリニック

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新しい臨床心理学のために 27
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    新しい臨床心理学のために 27

     鏡像段階とエディプス (5) 

    「対象の欠如」からエディプス・コンプレックスの第二期に戻って、この時期は、間主観的な母−子関係に父が介入する事によりはじまる。この介入には2つの面がある。
     
    ① 子供の見地からは、父は母の正式な権利所有者として姿を現す事によって『禁止』として介在する。これが父の介入が子供にとってなぜ子供が母を欲する限りにおいて、frustrationとして、つまり、まさに現実の対象に関係した想像上の行為として経験されるかである。ここで子供は彼のファルス的同一化を再評価する事を要求され、同時に母の欲望の対象である事をあきらめる事をも要求される。

     それに対応して、 

    ② 母の見地からは、父は、母が既に持っていると思われているファルスを母の欲望の対象と同一化している子供という形で剥奪する。 

    母親を剥奪される段階で、つまりエディプスの展開のある時期に、主体は自分自身を受け入れ、登録し、象徴化するか、そして母が対象であると証明された剥奪を意味あるものにするかどうかを問われる。
    母が母の欲望の対象である何かを父によって剥奪されるという事を子供が受け入れられなくする、母との、父との、ファルスとの関係の特別な布置とは何でしょう?これは結び目の布置です。この段階では、問題は「ファルスであるのか?ないのか?」として現れます。

    この存在の弁証法は、frustrationとprivationの両方が、父が母−子関係に関して other として現れると言う基本的事実と関連している事によって,子供に動揺を与えるはじめとなる。
    このようにして、子供の主体的経験の中で、父は母の欲望でありうる対象として、すなわち、子供が母との関係の中でライバルではないかと思うファルス的対象でありうるものとして、現れる。この想像的なライバル関係の競争は事実上父の掟に子供を出会わせるファルス対象の置き換えと同じ広がりを持つ。
    子供がこの法に出会うのは、子供の要求を満たす母の能力に関して、母はその法に依存しているのを発見した時である。他の言葉でいうと、母を通して子供の欲望は必然的に他者の法に出会う。 

    想像的次元では父は母を剥奪するものとして最も確実に介入する。つまり要求として他者に向けられたものは上級審にまかされるし、なぜなら、ある点で、他者に尋ねる問いであるべきものとして伝達され、例え、他者がそれを完全だと考えたとしても、その問いは常に他者の他者、すなわち他者自身の法に照合されるのである。そして、この段階でこのような事がなされる何かが起り、それが主体には母を剥奪されると想像的に理解される限りで子供に返ってくるものは純粋に、単純に『父の名の掟』である。 

    このようにして子供は最も本質的な次元を発見するが、その次元は欲望の構築においてすべての人の欲望を他者の欲望の法に従わせるものである。子供にとって、この強力なエディプス・コンプレックスのモーメントは、今までずっと子供がその対象だと思ってきた事に関して、母親の欲望の意味に道を開く。母の欲望が他者の欲望に従わされているという事実は、母の欲望はそれ自体、他者(父)の持っている、あるいは持っていると仮定される対象に依存しているという事を暗に示す。ここで子供は、所有の弁証法( ファルスを持っているか?いないか? )を発見し、この先、母の欲望の問題を分極させるものとして、これらは『存在』(〜である)の弁証法の相対物となり、子供自身の欲望について彼の経験を調整する。

     子供がこの自己への問い、つまり母のファルスであるか?ないか?という事に関して、剥奪する父は子供に、母が父の法を認めている、つまり、もう決して子供ではない対象に対して母が持つ欲望の仲介をする父の法を認めている事を理解させるだけではなく、この対象は父が持っているか、持っていないと思われる対象である事をも認めさせる。 

    ラカンによれば、この時期は、主体を彼の同一化から引き離す何か、同時に、彼に法の最初の顕現を、それは母がそれに依存し、ある対象に依存し、その対象はもう決して単に彼女の欲望の対象ではなく、他者が持っている、あるいは持っていない対象だという形で付与する事になる。 

     そしてラカンは以下の事を加える。

     母自身のものではない法に母が委託されている事実と、そして実際、母の欲望の対象は母が委託する同じ法によって最高度に所有されているという事実の間に密接な関係がある事にこそエディプス的関係の『鍵』があります。母と父のパロールとの関係、ここが大切な区分なのですが、母と父の関係ではなく、あくまで、母と「父のパロール」との関係の性質が本質的で決定的なものなのです。なぜなら、父は剥奪者として存在し、法を生むのは彼であり、そして父を立法者とする母により、隠されるのではなく、仲介されて成し遂げられるのです。 

    エディプスの第二期は、エディプス・コンプレックスの衰退(エディプスの第三期)を印づける象徴の法に子供がアクセスを得るのに必要な前提である。この父の法との出会いによって子供は去勢の問題にぶち当たる。これからは母の欲望が依存する所有の弁証法を通して彼に問いかけられる。母に関して父の仲介によって母は父を法の制定者と認め、子供は父をファルスの守護者として出現しなければならない位置に昇進させる。 現実的な父は法の代理人である。今や父は母の欲望の対象を所有すると考えられたから、子供は父に新たな意味を与える。父は象徴的父の地位まで昇進する。母は父の法の言葉に従うが、それは父のパロールを認めるからで、それが母の欲望を動員できる唯一のものであると共に、子供の立場からは、父の機能に象徴的な次元を与えるものとなる。この段階で、子供は父の現す機能に関して子供自身の位置を決めなくてはならない。この機能が『父の名』として知られる象徴的シニフィアンである。 

    言葉を代えると、その機能は母が父を母の法や思いつきを超え、そして純粋に、かつ単純に父の法であるものに従って、『父の名』として、すなわち、ラカンによりフロイト理論の発達としてアナウンスされ、発展させたもので、まさに法の言明と密接に関連している。これこそが本質的であり、ここにおいて子供がこの問題を受け入れるか、受け入れないか、あるいは誰が母の欲望の対象を母から奪うのか奪わないのかを決める。

     エディプスの第二期の終わりに、子供が占める位置取りは重大ですが、それはこの位置が第一義的にはファルス的対象との関係によるという意味です。子供自身が母の欲望するファルス的対象であるという子供の確信は揺さぶられます。この後から父の機能は子供に彼がファルスでないと受け入れさせるだけではなく、母と同じく、それを持っていないと受け入れさせるのです。そして母はファルスがあると考えられる場所において、従ってファルスを持てるようになる場所においてファルスを欲望しているのだと子供は気付くのである。ここにおいて我々は去勢コンプレックスの効果を見つけるのである。

     ラカンは以下のように説明する。 (象徴的)ファルスを持つためには、はじめに必要なのは(想像的)ファルスを持てないと理解する事であり、去勢されるという可能性が(象徴的)ファルスを持つという事を仮定するには本質的なのである。ここにおいて父はいくつかの時点で有効に、現実的に介入しなければ行けない。この(象徴的)ファルスを獲得するためのステップは、先行した2つの時期の間の弁証法により第三期において確立する。
    | 臨床心理学 | 11:02 | - | - | - | - |