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青葉心理クリニック

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新しい臨床心理学のために 24
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    新しい臨床心理学のために 24 

     鏡像段階とエディプス (2) 
     
    (2)エディプスコンプレックスの第一期 

    鏡像段階の同一化の相の終わりに、子供は主体としての発達を始めるが、母との未分化な融合的関係にまだある。子供はそれが母の欲望の対象ではないかと思うものに同一化しようとして、母に対してとる特別な位置の結果がこの関係となる。この同一化は母の欲望の欲望(母によって欲望されたいという欲望)になるという子供の欲望を通してなされるが、たとえ基本的欲求の満足や世話だけであったとしても、母親の無媒介な子供への接近によってかなりの程度まで強調され、誘導さえされる。言い換えると、母と子の密接な交換により、子供は彼自身を母親に欠けているもの、つまり母の対象になるように導く。(大文字の)他者に欠けているものを満たす事が出来るものがファルスである。母と子の関係において母のファルスになるという子供の欲望の形においてファルスの問題と出会う。(大文字の)他者の欲望の二つとない対象として子供が子供自身を同一化した時から母と子の間の融合的未分化の関係という事がいえる。ラカンが言う通り、このエディプスの第一期では子供の欲望は根本的に母の欲望に従属したままである。 

    「子供が欲するのは欲望の欲望になる事であり、母の欲望を欲望を満足させる事である。この事は、すなわち、母の欲望の対象であるか、ないかという問いである。母を喜ばすには子供自身がファルスである事が必要にして十分である。」 

    子供のファルスに対する関係はファルスが母親の欲望の対象である限りにおいて本質的であるというのはラカンが言うように重要な事である。この時期において、子供はファルスの問題から存在の弁証法の効力により、つまりファルスであるのかないのか?により明確に解任される。このエディプス第一期において、あたかも子供はファルスの問題に付随して起る事の一つから、すなわち、去勢の次元から免れているかのようである。実際の母との融合関係は、如何なる第三の要素も子供が母に対して自らを同一化する事を媒介しない時にしか存在しない。しかし、逆に子供が同一化するファルス的対象の性格こそがこの確信の根本的に想像的な側面である 事を示している。したがって、媒介する審級(the father)が母と子の関係に対して異質であると見なされたとしても、子供のファルスへの同一化はそれ自体この審級の存在を前提としている。
    手短かに言うと、ファルス的対象との同一化は『ファルスであるのか、ないのか?』という弁証法的動揺という形で去勢を呼び込む事になる。
    この動揺の出現がエディプス コンプレックスの第二期の始まりを印づける。そこで子供は父の次元が押し付けるものとして去勢の登録へ必然的に導き入れられる。 
    エディプス的経過での子供の発達は「ファルスであるのか、ないのか?」という疑問の中で重要だと見なされている不安定な平衡状態に固定されるかもしれない。 もし、「父」の象徴的機能に関する曖昧なメッセージの結果としてこの問いが解決されていないと、去勢に対する永続的な動揺が生じ、ある数の障害や混乱が確立されうる。
    その中に我々がperverse (倒錯者)として性格づけたものがある。 このレベルで両義性が続くと、子供は去勢を避けるための防衛的戦略を構成するように導かれる。しかし、pervese は想像界のレベルで彼をファルスの優位へと彼を結びつける主体的な位置に着いて知らないわけではない。彼は去勢のインパクトを正確に評価しているから、なおさらいっそう去勢に対する奇妙な彼の位置の特異性を育てる事に熟練する。彼の症状の工夫のすべて、そして彼のすべての不安は彼が捉えられている主体的な幻想を維持し、再生産するためである。もし彼が去勢をさけるために技量を最大に準備しようとするなら、ずっと去勢が起るかもしれないという事を常に感じていなければならない。
    言い換えると、倒錯的な同一化は母が母のファルス的対象を欠如することと、子供がこの対象との同一化から離脱することの二つの可能性を否定的な形に育て上げると言える。それはまさにエディプス コンプレックスの第二期に含まれる間主観的なかかわり合いである。

      ここのところは直訳ではつかみ辛いところで、他の資料から引用して説明する。

     母は既に言語を持つ存在であるから、母の背後には象徴界があり、母はそれに依存しており、また彼女の背後には象徴界では際立った役割を果たすファルスがある。子供はこの時期にのみ一次的にファルスの現前と不在に関心を示し、鏡像関係以来の母との想像的な関係に捉えられる。第一期では子供が満足を得る主要な手段は母の欲望の対象に自分を同一化しようとする事である。このとき彼の欲望は他者の欲望である。そこで彼は、母に欠けているものを自分が作り出す事が出来る事を母に伝え、その欠けたファルスに自分を置き換える事によって、いわば自分がファルスの換喩であろうとする。
     このようなルアーを巡って、フェティシズム者は、その対象との間に様々な関係を作り上げる。この対象は欠けている限りでの女性のファルスであり、それに彼は同一化している。服装倒錯者は、母の衣類の下に隠されたファルスに同一化しようとする。つまり、彼は隠されたファルスを持つ女性に同一化している。
     ラカンによれば、倒錯者は終わりのない想像的ゲームを演じており、そこではファルスは完全に現前しているのでも、完全に不在な訳でもない。
     倒錯の問題は次の事を理解する点にある。 子供が母との関係の中で、母への生命的依存ではなく、母の愛への依存、いうなれば母の欲望の欲望という事に本質がある母との関係の中で、母自身がファルスという形で象徴化している欲望の対象とどのようにして同一化しているかという事である。

     ドールの本からは離れるが、全体をここで俯瞰してみよう。

     人間のセクシャリティーを組織するのは、男性器そのものではなく、その解剖学的な身体部分を土台としながらその上に作り上げられた表象(ある対象を心に思い描くという意味は既に退けられていて、対象から来て記憶系に記載されるものをいう。フロイト、科学的心理学草稿)である。ファルスの優位とはこのファルスと呼ばれる想像上のペニスが人間世界にあるか、ないか?(現前しているか、不在であるか)に応じて、幼児および大人の性の発達がなされていく事を意味している。 現実的ペニスは、 ① 目立つ形態である。② 大量のリピドーが注がれるために強いナルシシズム的愛着を持つ。③ それが無くなる事への極度の不安を持つ。という3要因を軸に作り上げられた想像的な本質を持つために無意識的な心的表象となり、それがさらに現実との出会いにより、身体から切り離しが可能である事から他の対象と交換可能なこと、この交換可能な系列を作り上げ保持するために他の対象の外側にあって、それらを代置する。(この辺から「貨幣」に似てくるでしょう。)
    それは人間の欲望の秩序の中で、生の様々な異質な対象が互いに等価な対象になる事を可能にする。そして、ファルスとは掟のシニフィアンであることから、象徴的ファルスになるというのがファルスがたどる精神の物語である。 
    手短かに言うと、現実的ファルスはリピドーの備給を受けているから、想像的ファルスとしてしか存在できない。しかしその想像的ファルスは交換可能であるが故に象徴的ファルスでしかあり得ない。そして象徴的ファルスは、欲望のシニフィアンであるから、分離を作り出す去勢の力と一体化する。    
    | 臨床心理学 | 07:22 | - | - | - | - |