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青葉心理クリニック

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新しい臨床心理学のために 22
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    新しい臨床心理学のために 22 

     ファルスの優位 

    ファルスの優位の意味するところは、フェミニズムのおばさん(失礼!)のいう男性優位とは全く何の関係もない。そういう事を声高に叫ぶのはご自分の読解力の貧弱を叫ぶ事でもある。それはここでいうファルスとは象徴的ファルスであり、既に『死んでいるもの』だからである。物神化されたファルスである。 その上で、 ファルスへの準拠とは、ペニスを通しての去勢の事ではなく(想像的な去勢ではなく)、『父への準拠』つまり、子から母へ、母から子への関係を媒介する、ある『機能』への準拠である。父という第三者が、想像的な次元に並べられる如何なるものにも還元できないシニフィアンとしての要素を持っている。(象徴的なものだということ) 
    ファルスは、男根的母親として女性に想像的に与えられるペニスの事ではない。そして逆に父がエディプス状況において第三者であるのはただこのファルスが父に与えられる『シニフィアンの要素』であるという理由だけである。つまり、ファルスという対象は何よりもその性質が一つのシニフィアンの要素であるような対象である。 

    幼児のある時期(男根期)の性的発展においては、一方の性器にしか本質的役割が認められないという事はまさにこのファルスの優位は解剖学的現実を超えたところ、器官を超えたところに位置づけられる事を意味している。つまりこのファルスの優位が位置づけられる水準は、器官の欠如が主体に何を思い起こさせるかというところにある。両性の差異は『欠如』という概念を巡って一挙に構成される。『欠けている何か』というこの概念が、欠けていると思われるものに対して必然的に唯一の場所、つまり『想像的な領域』を割り当てる。 この差異という現実的なものを目の前にして、子供に否応なく欠如を思い起こさせる想像的な構造が、「それ自身想像的な対象」つまり(想像的)ファルスの実在を暗に要請する。
    あるはずの何かを『欠けているもの』として子供が理解しようとする時に、この想像的な対象が子供の心の中の幻想を隅から隅まで支えているのである。 このファルスの想像的性質が、去勢の問題におけるある種の輪郭を規定している。「去勢と自分自身の関係に直面せざるを得ない」事を子供に迫るのは『欠如』である。これは個人が去勢と直面する事ではない。この「去勢と自分自身の関係に直面せざるを得ない」が意味するのは、ファルスという対象そのものの外在性と呼応する去勢の外在的性格である事が分かる。しかしこの外在性は主体のものである。というのはこの外在性は、幻想という想像的なものにしか根拠を持たない心内形成物と主体との関係に関わるものだからである。
    しかし、想像的なものにしっかり固定している「ファルス」という問題はさらにまた父の名の隠喩の過程へと我々を直接導く象徴的次元によっても支えられているのである。言い換えると、想像的対象という限りでのファルスの優位が、エディプスの弁証法において根本的構造化の役目を果たす事になる。(象徴化されるという事) 
    それはファルスの力動自体が父の名の隠喩の到来により解消される一番最初の象徴的操作を押し進めるからである。エディプスの領野は『想像的捕獲』という性格を帯びるだけではなく、この想像的捕獲が『象徴的なもの』の次元に結びつく投錨点(クッションの綴じ目)という性格も帯びている。
    | 臨床心理学 | 11:12 | - | - | - | - |