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青葉心理クリニック

心的現象論序説 私的読解 心の理解のために 50
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    心的現象論序説 私的読解 心の理解のために 50

    あとがき

    心的現象論序説は、心的現象論(本論)の総論ないし序論の部分の全体に当るとしている。ここで吉本の方法上の立場を明確にして.この立場から、感情、言語、夢、心象について解析した場合に出てくる問題を具体的に検証したものだという。

    『私が制作した小さな礎石のうえを、多様な構想を抱いた人々が踏み越えていくことを願う。もちろん、たれよりも私自身が、私の試みを踏み越えて、ゆけるところまで行くつもりである』

    と結ぶ。

    これで、心的現象論序説の私的読解を終わる。

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    | メンタルトレーニング | 08:42 | - | - | - | - |
    メンタルトレーニング 5
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      メンタルトレーニング 5


      Control

      concentration はどのようにして得られるのか?「今、ここ」に集中するためにはどうしたらいいのか?

      そのためには外界からの知覚、心の中からの思考をコントロールすることが大切です。知覚は人間の場合、視覚と聴覚がその大部分ですから、意識的にコントロールするのはこの2つの知覚になります。

      自分の外からやってきて、「今、ここに」を障害するものは、たくさんあります。しかしほとんどが、視覚、聴覚から入ってきたものです。何か自分の「今、ここに」を障害するものが入ってきてしまうと、それを駆逐するのは大変なことです。気にしまいと思うと、ますます気になってしまうというのはあなたも経験されたことがおありになると思います。ですから、例えば、あらかじめ決めておいた、試合中でも確認ができるポイントに目を持っていく。試合前には決められた音楽を i Pod で聞く、試合中はセルフトークに集中するというようなことが、必要になります。イチローが打席に入る時の仕草を思い出してください。いつも、同じようにバットをセンター方向に向けて始まる一連の動作がありますが、おそらくあれは視覚、聴覚、運動覚のコントロールなのだと感じます。一連の動作を繰り返すことで、コントロールは強くなりますし、その進行に伴い、感覚幅が一気に狭まり、より高い concentration が得られるのです。

      実際の場ではその選手により、control の仕方は様々なのです。特に運動覚のコントロールをどうするかについては個人差が他の視覚、聴覚に比べて個人間の差が大きいように感じています。
      さらに、試合の中でも、状況に応じて concentration の深さを変えたり、持続したりとかいう問題が出てくる訳です。つまり、concentration 自体のコントロールも必要になるのです。いくらメンタルトレーニングの本を読みあさっても、実際の競技でその効果が確認できない、あるいは効果が持続しないことをもうあなたは経験されていると思います。それは、本で勉強するメンタルトレーニングは、実際の「場」出の体験がないので、本当には自分に取り込むことができないからなのです。この辺はカウンセリングの『場』でないと、本当には心の葛藤を処理できないのとよく似ていると思います。
      言葉にしてしまうと『 「いま、ここに」集中すること!』というだけなのですが、このことを自分でできるようになるのは、実際の『場』での体験を積み重ねないと成し遂げられないことなのです。本による勉強には限界があるのです。そのことを知ってください。


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      | メンタルトレーニング | 09:33 | - | - | - | - |
      メンタルトレーニング 4
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        メンタルトレーニング 4

        Concentration

        実際の試合の開始の合図、陸上競技なら、「位置に着いて!」の声でしょうし、サッカーやラクビーなら、レフリーのホイッスルでしょう、其の合図の時に、あなたの意識はどこにありますか?

        もしこのとき過去の失敗に意識が向いていたら、つまり過去に志向性が向いていたら、それは concentration といえるでしょうか?
        逆に、この試合に勝たなければ、次の予選に進めないと、未来のことを考えていたらどうでしょうか?

        どちらの場合も、自分でコントロールできないものにとらわれてしまっています。そもそもが自分がコントロールできないことをコントロールしようとしている訳で、無駄なことなのです。それに気づかない、あるいは気づいていてもそういう思考方法から自由になれないのが、スランプの原因なのです。

        人間の意識は、時間と空間に集約されます。Concentration は、「今」という時間、「ここ」という空間に対してなされるものです。それは人間の生というものに、自分が実際にコミットできるのは、「今、ここ」しかないのだと言うことなのです。では、我々はどこで、時間、空間を知覚しているでしょうか?それは言うまでもなく、いわゆる5感を通してです。(誤解を恐れず言うと、6感ですが)

        この5感(6感)が、「今、ここ」をとらえているかどうかなのです。もし、この5感が妨げられるとしたら、それは何によるものでしょうか?それは、観念 です。過去の失敗は観念です。観念には「今、ここ」の知覚はありません。「スタートのピストルの合図に遅れたらどうしよう?」というのも観念です。観念は「今、ここ」という知覚に無関係で、制約を受けませんからどんどん膨らみます、さらに「今、ここ」という自分がコントロールできる時間、空間を奪っていきます。結果、あなたはコントロールという大切なものを失っている状態で、試合に臨むことになります。

        ここまでは原理的な説明ですが、このことを前提とした、技術論、メンタルトレーニングが、日常の練習の場や、試合前の状態、試合後の反省にほとんどないというのが日本のスポーツ界の大半なのではないのかと思うのです。

        空手に「型」というものがあります。実践の場から生み出された空手の動作を各要素に分けて意識的に演じていくことで、これをマスターすることで、それが無意識の動きとなっていくというものですが、試合中にあえて型を意識したらどうなるでしょうか?おそらく相手に自分の動きを読まれてしまい、簡単に反撃を食ってしまうでしょう。「試合の時に練習の時のようにしろ!」というのは極言するとこれと同じことなのです。白隠禅師の師である正受老人の言葉に学得底、見得底というのがあります。前者は頭で得た真理、後者は理屈を超えた体験から得た真理ということなのですが、日本のスポーツ理論は、技術論、メンタルトレーニングともに前者であることが多いのです。一見、科学的に感じられるのですが、もしそうであるなら、試合をしないで IQ の測定をすれば勝敗は決められることになります。スポーツで必要なのは 見得底なのです。弓道のような、禅を体現しているようなスポーツが身じかにありながら、どうして日本でそこから発展したスポーツの技術論、メンタルトレーニングがないのか、少年サッカーやゴルフから、末はプロ野球、サッカーまで、不思議でなりません。

        メンタルトレーニングからは少し外れますが、先日のWBCで、日本選手がほとんどホームランを打てない、あるいは巨人で活躍をしているイスンヨク選手が米国大リーグからは評価されない、何より日本では傑出した長距離打者と思われていた松井選手が大リーグでは中距離ヒッターでしかないということを、指導的立場にあるプロ野球関係者はどう思われているのでしょうか?以前なら(例えば、旧後楽園球場、川崎球場や、東京球場が使われた時代)米国に比べ格段に狭いことがその説明になるかもしれませんが、今はそれでは説明できないと思います。松井選手はチームプレーに徹していて自分を殺しているという見方がありましたが、どうもそうではないようです。先日、ロッテ戦で20点を超える得点があったことで、解説者の張本勲氏が、「ボールが飛びすぎるのでこうなるから、ピッチャーはたまったものではない」ということを言っていましたが、それを聞くと、先の疑問はすべて納得できてしまいます。日本のよく飛ぶボールを使うと、中距離打者が、ホームランを量産できることになるのです。だから、使用したボールが米国水準であったWBCでは日本の「長距離打者」はホームランを打てなかった訳ですし、ヤンキースの松井選手は、打点は稼げても、本塁打はそこそこしか打てないということなのです。
        ゴルフでは飛びすぎるボールは認可されないのですから、野球でも当然そうだろうと思って、日本のプロ野球の「強打者」を見ていた我々は裏切られたような気持ちになってしまう。しかも、大リーグの放送が簡単に見れる今の時代で、アレックス ロドリゲスのような本当の長距離打者と、日本で長距離打者と言われながら、スウィングスピードが遅すぎる選手の本質的な違いを子供たちがその豊かな感性で見抜いてしまうのは当然のことなのでしょう。国内だけで通用すればいいという島国根性が、健全なスポーツの発展をかくも阻害しているということに、特にプロスポーツの指導的立場にある人は猛省していただきたい。このことはアマチュアスポーツにも認められ、オリンピック種目でありながら、国際ルールではない、国内ルールをかってに決めてほとんどその中で競技を行っている団体もある。JOCは税金から補助金を出しながら、それを認知しているのだろうか。こういう、「雰囲気」が本当に能力のある選手の成長をゆがめていることが、実は選手のメンタルトレーニング以前の大きな精神上の問題ではないのかと思っている。そのような雰囲気なので、技術論もメンタルトレーニングも国際水準であることができないのではないかと思う。


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        | メンタルトレーニング | 10:17 | - | - | - | - |
        メンタルトレーニング 3
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          メンタルトレーニング 3

          松坂投手

          ちょうど、このメンタルトレーニングについて書いてほしいというご希望を頂いた時に、ボストン レッドソックス と アトランタ ブレーブス の試合があり、松坂、川上の日本人投手同士が投げ合うということでチャンネルをあわせられた方も多かったのではないでしょうか。この日の松坂投手の投球について解説の佐野氏は、それほど否定的なことを言いませんでしたが、素人目にも腰の開きは早いし、手の振りもボールをおきにいくだけのもののように見え、投げている本人にもさぞ不快なものだろうという感じでした。次の試合から先発を外れるそうですから、まさにスランプなのだと思います。メンタルトレーニングは、本当は調子の良い時ほど必要なものなのですが、どうしてもこのようなスランプになった時に抜け出す手段と考えられているので、仕方ないので、スランプになった時と仮定して説明をしていきます。松坂投手の今回のような場合に、まずすることは、心理的な問題以外のものがないかをまず見ます。身体的なこと、内蔵関係の異常等も当然対象になります。食事内容、睡眠等もみます。当人の心以外の問題はコンディショニングの問題として、しっかりチェックします。というのは、コンディショニングと心理面の問題はお互いに影響し合うことはありますが、解決法はそれぞれで全く異なるからです。心理面の問題の時に、どんなにハードな練習をしても、結果は悪くなるだけの方が遥かに多いからです。メンタルトレーニングによるスランプの解消は、心理面の問題についてのみ結果を期待できるのです。

          プロ、アマを問わず、メンタルトレーニングの場に来られるのは既にご自分でかなりの努力をされている方がほとんどです。それが一番問題で、ご自分で努力されるうちに、かえって自信を失い、無力感に支配されているのです。この辺が、心の病の場合のカウンセリングと共通するところなのです。心の病の方がいくらご自分で心理学書をお読みになり、知識を身につけられても、心の病自体はさっぱり良くならないというのは、良くなるためには、対人関係の「場」でないとだめだと言うことなのです。鬱病の方が、自分の気分、感情をコントロールできないと感じるように、このような状態の選手は自分で自分をコントロールできないという感じに支配されているのです。
          (心理的な)スランプの原因となる出来事自体は、競技を続けていく以上はさけて通れない、ある意味当然なことなのですが、失敗にせよ、けがにせよそれはスポーツをする以上当然な訳です。しかし、その時にあなたがそれをどう受け取ったかが、スランプになるかならないかの分かれ道なのです。あなたがネガティブに受け取ってしまうことがスランプの原因なのです。それをあなたは逆に考えてしまうのです。つまり、スランプだからネガティブに考えてしまうのだと。問題なのはネガティブな考え方で、スランプを乗り越えようとすることです。ネガティブな考え方で、猛練習したらどうなりますか?
          それは、わざわざ失敗するために練習することになるのです。スランプを起こす原因になった外傷的(にしてしまった)な出来事のとらえ直しをすることで、ネガティブな考え方を変えていくことがまず第一の段階となります。

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          | メンタルトレーニング | 09:20 | - | - | - | - |
          メンタルトレーニング 2
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            メンタルトレーニング 2

            無意識

            メンタルトレーニングについて日本で語る時には、一番最初に言わなければならないことが「無意識」を知ることである。無意識というのは意識が無い状態のことではない。欧米ではフロイト以来、無意識の存在というのは既に推理小説でも説明なしに使われていたり、各分野の選手が、本当にそうかどうかは別にして、instinctive という言葉を口にするのを耳にすることが多い。ピークパフォーマンスということが「無意識の状態」でなされるものだということをまず理解していただきたい。卑近な例では、ボクシングの選手が相手をノックアウトした時に、無我夢中で何をしたか覚えていないという時の状態である。日本人は、特に、すべてを意識下で行おうとする傾向が強い。頭が少し固い人には、オイゲン ヘリゲル の「日本の弓術」、「弓と禅」をお読みいただければいいと思う。特にヘリゲルの本は欧米のメンタルトレーニングの本にはよく出てくるのに、本家本元の日本の本には滅多に登場しないことは「無意識」の理解が、日本のスポーツ界ではまだまだ浅い証拠だと理解している。
            日本のスポーツの現場で、「練習のように、リラックスしてやれ」と試合中にコーチがよく言うのを耳にするが、試合は緊張するのが当たり前であり、それを前提にして、緊張した時に有利になるのが正しい技術理論である。それを基盤にして初めて、試合という緊張した場面でこそ、ピークパフォーマンスが発揮されるのである。身体面の問題は言うに及ばず、技術面での要素もメンタルトレーニングが有効に働くかどうかの前提になるのである。たしかに、過緊張はパフォーマンスを下げるが、本当にリラックスしたら、ピークパフォーマンスは成し遂げられるものではない。自分の意識状態がある特殊な状態になることが、ピークパフォーマンスの条件であり、その状態を欧米では in the zone と表現している。
            「無意識が有効に働くためにはどうするのか?」それがメンタルトレーニングの真の目的であり、緊張のコントロールは、メンタルトレーニングの記載自体はそれが主題であるかのように展開させざるを得ないが、その真の目的の前には二次的なものにすぎない。目をつぶって、根性!と叫んで相手に突進するのが無意識ではない。意識はあくまで清明、明鏡止水がごとき状態でありながら、自分の無意識が体を動かすのを見るのができるようになるのがメンタルトレーニングだと思うのである。そこで展開されるのは、落ち着いた、自信に満ちた体験であり、自己実現の高揚感に満ちた至福の体験である。それが in the zone である。


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            | メンタルトレーニング | 09:37 | - | - | - | - |
            メンタルトレーニング 1
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              メンタルトレーニング 1

              燃え尽き症候群?

              最近の競技ゴルフの若年齢化で代表されるように、かっての教育ママ、パパがスポーツの分野に外延してきているのは価値の多様化ということで、結構な面もあるのだと思うが、反面、子供の成長には様々な分野への関心が増えていく面があり、狭い一分野のスポーツに子供を押し込めることが、子供の健全な心や体の発達を阻害してしまい、やがて「燃え尽き症候群」と言われるような状態に幼くしてなってしまう子もいる。子供が自ら始めたスポーツでも、いつの間にか、親が子供を自分の延長として、競技スポーツをさせることが、親の自己愛を満たす手段に変貌して、子供を苦しめていることがある。
              ある段階に達した子供がスポーツへの意欲を失ってしまう、成績が振るわなくなる、そうなって、親につれられてカウンセリングに訪れる子供がいる。沈んだ、重い気分の子供たちから漏れだす言葉は「遊びたい」であり、「お友達と一緒に何かしたい」なのである。親たちは子供がスポーツへの意欲をなくすると、大人の選手のバーンアウト、燃え尽きではないかと考えて子供を連れてこられるのだが、子供の成長に伴い、親にほめられ、あるいは怒られながら、親の代理でスポーツをすることよりも、ほかに自分の自己愛を満たす分野を知るという、成長に伴う当然のことから、そのスポーツへの意欲を失っている場合が多い。他の分野、読書であれ、芸術であれ、ほかのスポーツであれ、視野を広げさせることが、子供の全体的な発達に、あるいは対象となるスポーツにとってさえ、極めて大切なことだというのが見失われている。さらに、一つのスポーツに押し込めることは、子供の場合、対人関係の歪みを生じさせやすい。競技スポーツで頂点を極めることのできる者はごく少数である。そういう人でさえ、引退の時期は通常の職業の者より、遥かに早いのであり、残りの人生について考えても、親の責任は極めて重い。
              今回は、ご希望が寄せられたため、メンタルトレーニングについて、何回かに分けて書こうと思うのだが、最初に、このような親のためだけにスポーツをしてきて、ただ勝てばいいというように考え、勝てないからメンタルトレーニングをしようとしても、歪んだ心の発達のままで、メンタルトレーニングをしても全く効果のないものだということを前提にしてお話を進めていきたい。

              また、身体面の問題(病気や故障、基礎体力の欠如)、あるいは技術上の欠陥をそのまま放置して、メンタルトレーニングをしても、望む効果は得られないこともはじめに述べておきたい。


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              | メンタルトレーニング | 10:03 | - | - | - | - |