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青葉心理クリニック

脳科学の課題
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    脳科学の課題

     

    将来の精神医学が、脳科学を控え目に言っても重要な構成要素とするであろう事は疑いはない。その上で、脳科学の克服すべき課題として感じられるものについて、主に強迫性障害(以下、OCD と約す)を例にして述べていきたい。というのは、以前にもこのブログで述べた事であるが、OCDに関する限り、フロイトを含めた精神分析理論は自分には本当には納得できないので、確か、1996年頃に、Brain Lock という本を読んでからは、クライエントに説明する時には心理学、精神分析学的な説明ではなく、脳科学的な説明しか行ってこなかったので、その後にも新たなOCDの知見が加わる毎にメモにしてきた物が結構溜まって来たからである。

     

    脳科学的な見地から大雑把にいうと、「OCDは脳の回路の障害である。脳の回路がショートして、間違った信号が送られているのである。」といえる。これだけでは患者さんには何のことだかわからないといわれるし、実際、こう伝えたときに、「では、脳のブレーカーを入れなおして!」と言われたことさえある。ここで言う「脳の回路」を理解していただく為には、すくなくとも、 1996年当時でも、線条体(尾状核+被殻)、眼窩皮質、帯状回、視床という脳の場所の理解が必要であったし、現在はそれにさらに前頭前野、扁桃体というのも加わる。神経解剖の本でもこれらをちゃんと説明するとその本の一章に相当するページ数が必要になるので、ここでは簡略化しすぎる事になるが、まず、それぞれの場所の働きを説明して、その後でいくつかの脳科学の本の記載を列記したい。

     

    まったく脳科学に縁のない方には、脳の回路を地下鉄の路線図のようなものとしてイメージして頂き、上記のそれぞれの場所は「駅名」とし、駅と駅を結ぶ線路があり、通常は電車は一時間に一本しか、しかもゆっくりしかこないのに、OCDでは物凄いスピードで電車が何台も走りまわっているのがOCDだと思ってください。

     

    では、その場所、駅の説明からします。

     

    線条体と言うのは、尾状核と被殻からできているのですが、これらは胎児の時に同じところから出来てくるのでまとめて線条体という言い方をしますが、OCDで問題になるのは尾状核です。尾状核は、ある思考から別の思考へと移るためのギアチェンジをする働きをします。ここの故障がOCDの原因らしいのです。それで、ある思考が次の思考に移らない、関心が変わらないと言う事になります。また、ある思考が入って来ないようなフィルターの役目もあると言われます。

     

    眼窩皮質は回路に異常がないかを検知するはたらきがあります。さらに、ここで感情と思考が結びつけられるといわれています。 帯状回は内臓をコントロールする中枢と結びついていて、強迫行為をしないと恐ろしい事が起こるぞとOCDの人を脅かすのです。 視床は体全体からの感覚情報の中継場です。 扁桃体と言うのは、怒りや恐怖、そして不安の中枢と言われます。

     

    前頭前野と言うのは、理性の中枢、人間が人間たる所以の場所ですが、扁桃体を抑制する働きがあります。

     

    これだけを頭に入れて、以下の脳科学の最近までの記載メモを読んでください。

     

    OCDで起きていることは特定の神経経路が活動しすぎていると考えられている。それは現時点では、前運動野を含む前頭葉と尾状核の間を結ぶ経路がその一つだと考えられている。尾状核が結ばれている前頭葉は認知のもっとも高度な形、つまり、考えたり、評価したり、予定を立てたりするところである。正常な場合、尾状核は自動思考のある面を監視する。汚れたときに手を洗うように自動的に駆り立てたり、家を離れる前に鍵がかかっているかをチェックさせたり、調子の悪いことに注意をさせ、焦点を当てさせたりする脳の一部分である。尾状核はこれを全部前頭葉の特定な領域、つまり眼窩皮質のある場所を活性化させることで行っている。ここは何か予想されないことが起こったときに活動をする。エラーを感知する装置が組み込まれているのだ。この領域がOCDで特に活発である。手洗いの脅迫がある人は汚いところにいることを想像しただけで、尾状核と前頭葉は気が狂ったように打ち合いを始める。脳の真ん中の領域、つまり帯状回も強く反応するが、この部分は意識的な感情を心に残すが、ここが巻き込まれるとOCDでの感情的な不快が生じる。このような脳の反応パターンは正常な人では家族が中にいるのに家が火事になっているのを見ているというような大惨事について考えさせるようなことをさせなければ認められることはない。これらのイメージが被験者の心の中で巧みに処理された後で、研究者はリラックスして、嫌なことを忘れなさいというが、OCDのある人は尾状核と眼窩皮質は活動中のままである。

     

    前頭前野と扁桃体との相互作用のシステムは、現在の経験を意識的に評価することによって、感情をコントロールしたり、方向ずけをしたりするのを助けている。OCDの好ましくない想念や衝動がそれ自体には意味がなく、単なる病気の症状に過ぎないということがわかれば、前頭前野が強く活性化し、それとともに扁桃体の反応が抑制される。何がOCD の症状で、何が本物の不安か心配かが見分けられるようになる。自分の意志と脅迫衝動の間に距離を置くこと、盲目的に脅迫衝動に従うのではなく、少なくとも自分に選択肢を与えることができるようになる。

     

    OCDでは、尾状核に問題があって、手を洗うとか、鍵を確認するとかという進化論的には古いとされる大脳皮質の回路の信号が入り口の制御を突破して尾状核のなかに乱入してしまうらしい。これはフィルターの故障。さらに、一度入ってしまった思考が出て行かない、関心が移らないと言う現象がおきる。そうなると異常感知機関である眼窩皮質は、アラームの信号を出し続ける、そうなると、「何か間違った事が起きている」アラームが鳴り響いているわけだから、当然不安が出て来る、 帯状回が何かしないと大変な事になると言う警告を出す。さらに不安が起きてくる、そこでは扁桃核が活性化されている。しかたないので強迫行為をすると、さらにそれがこの回路を活性化することになる。これらの場所、駅が線路で結ばれてその駅の間で結合が起きて、閉鎖回路ができてしまう。もう、どうにも止まらない。これが、ここでの意味で Brain lock である。OCDの完成である。

     

    このロックを外すのが15分ルールと呼ばれるUCLAで開発された行動療法である。 まとめると、尾状核の故障でOCDがおこり、それがブレインロックで悪化、永続化して行くのだが、では、なぜ行動療法で良くなる可能性があるのか?具体的にどうすればいいのか? 1996年の Brain Lock ではそれが行動療法で、尾状核で行動療法、つまりは15分ルールで、強制的に関心を移し、錆び付いたギアを無理やりチェンジさせると良くなる、そこにSSRI を加えると、成功率が高くなる、ただしここでのSSRIは泳げない人の浮輪みたいなものです、助けにはなるがそれで治るのでは無い、あくまでも治るには行動療法だという事であった。SSRIはセロトニンに作用するが、セロトニンはOCDには主役ではないということで、主役はどうもグルタミン酸ではないかといわれている。

     

    この15分ルールは、私も自分の所で実践して来たが、その有効性は否定しない。しかし、大事なのはむしろこの療法の認知療法としての面だと感じるようになった。それは脳科学的にいうと前頭前野の働き、ヘーゲル的にいうと理性、 Brain Lock の中では「公平な観察者」と呼ばれる(経済学者のアダムスミスの「道徳感情論」からの借用)形而上学的な概念、そういうものが存在するようになるかどうかがOCDが良くなるかどうかの全てでは無いかと個人的には思っている。ここでの文脈からは外れるので、この話はいずれ別に書くつもりだが、以上に述べた脳科学で、精神分析でも特に難解なOCDの理論より、はるかに理解可能だと思う。

     

    それでは脳科学だけでいいことにならないか?課題なんてないのでは?

     

    そこで、先程の公平な観察者である。それが脳科学では何なのか、私に言わせれば、OCDの治療に一番大事なものが、それであり、また脳科学的な行動療法でも一番ではないが、かなり重要とされているのだから、それを脳科学で説明できなくては、情けないような気分になるのである。情緒的な面だけではなく、本当に治療に大事なことを脳科学的に説明できなければ、脳科学的な治療など生まれないと思うのである。

     

    マインドフルネスにも同じことを感じる面がある。脳の無駄なエネルギー消費を抑え、余ったエネルギーでメンタルを改善するのはなるほどであるが、治療法は従来禅の修行でやっていたことなのではないか、経頭蓋磁気治療は脳科学的だが、それ以外は従来もあった方法ではないのかと思う。

     

    もう一つ思うのは、同じOCDでも、なぜある人は手を洗い、なぜある人は鍵を確認するのか、そして、なぜある人は自分が汚いと思い、ある人は触るものが汚いと思うのか、その説明が今のところ脳科学ではできないことである。その辺は精神分析に一日の長がある。

     

    なぜ、その時その場所でヒステリーではなく、OCDになったのか、それもまだ脳科学では答えがない。

     

    当たり前のことだが、個人を相手にするのが治療なのだから、一番個別なことが説明でき、それで脳科学的な治療ができることが、脳科学の今後の課題なのではないか?

    | 1.サイコセラピー | 16:50 | - | - | - | - |
    心のモデルと気持ちの理解 3
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      心のモデルと気持ちの理解 3


      エイク、フェルメールと書いてきたが、次はハンス・ホルバインである。ホルバインの「使節たち」はラカンの「精神分析の四基本概念」の初めに掲げられていて、この絵を正面からの遠近法(我々が通常絵画を見る見方)でみると、精密な描写で二人の使節と当時の科学、芸術の最先端を現す天球儀、地球儀、楽器などが置かれている。その使節たちの足元に楕円形のなんだかわからない大きなシミのようなものが描かれている。このシミみたいなものは正面からではなく(正面からの遠近法ではなく)、左下から見るとドクロとして現れる。これはアナフォルモーズと呼ばれる技法である。アナモルフォーズは、絵画とはただ空間における事物を写実的に再生するだけのものではないことを我々に示すと言われる。さらに、ここ技法はリアリティを作り出す遠近法の虚構性を暴露するような歪曲であるとされる。それは、ドクロがはっきり現れるときには使節たちははっきり現れず、逆に使節たちがはっきり現れるときにはドクロはシミと化すということである。デカルト的主体が世界を見る見方も正面からの遠近法であるが、この正面からこの絵を構成している位置が、この絵を構成する秩序である。このことは以前のブログで「消失点」について述べたことと同じである。しかし、このドクロが意味するのは、デカルト的主体とは違う位置に立つことで、デカルト的主体の実測的次元に内在する欠如の機能が明らかになる。これはポール・リクール的な言い方をすれば、「言うこととは違ったことを意味する」という意味での象徴的なものと言える。この議論からは、「眼差し」とは、フェルメールの少女の目の白い点と同じく、ホルバインの使節たちの足元の大きなシミ、ドクロがそれなのである。

       

      ここで、もう一度エイクの絵に戻ろう。極めて写実的と言われながら、例えば「ロランの聖母子」の床が下方に向かって不自然に広がっている。こうすることで描かれた床が現実の床と連続して鑑賞者に感じられるようにしているのである。こういう技法もまた、絵画とはただ空間における事物を写実的に再生するものではないことを我々に示しているのであろう。

      技法に優れたこの三人の画家が技法は違うにせよ、全て写実ではないことがわかる。

       

      人間の目はピントが合っているのは視野の中心だけで、それを人間の頭の中でパンフォーカスなものに変えているので、フェルメールのところで述べた筆使い、大まかで、大雑把というのはこのため、すなわち人間が見たとおりのものを描くためだったとではないかと気付かされるのである。


      また上に述べた三人の他に、ベラスケスについても、「黒衣のフェリペ4世」で見られるように遠近法を使わないで、影で奥行きを表現している。それは、第三者の審級のない絵ということになるわけで、その点についてはいずれ詳しく述べてみたいと思っている。同じベラスケスの「王女マルガリータ」ではその三人の技法からさらに自分の目の映像をそのまま描いているのがわかる。拡大するとドレスの生地の質感は無くなるが、普通に見ると触感さえ感じられるような質感である。この自分が見た真実に忠実に描くことが、フェルメールの「光を描くこと」と共に、印象派の父(もっともマネ本人はそう思われることを嫌ったらしいが)と呼ばれるマネに影響を与え、それが「オランピア」の裸婦の色彩による強烈な現実感につながり、光を描こうとした印象派の画家に影響を与えたのであろう。

       

      エイク、フェルメール、ホルバイン、マネ、モネ、・・・・・という流れを美術史とは言えないかもしれないが、そういう位置づけをして初めて見えてくるものがある。こういうことが、丸山真男が「日本の思想」で言っている思想的座標軸に当たるものなのだと思う。それもまた稿を改めたいと思う。

      | 1.サイコセラピー | 14:58 | - | - | - | - |
      心のモデルと気持ちの理解 2
      0

        心のモデルと気持ちの理解 2

         

        ヤン・ファン・エイク、ヤン・フェルメール、ディエゴ・ベラスケスはご存知のように精緻な描写で名高い画家である。しかし絵における表現自体はかなり異なる。例えば、前二者の絵を比較してみよう。ファン・エイクの「ファン・デル・パーレの聖母子」と フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は、前者が白い服をまとった老人の瞳にエイクがこの絵を描いたアトリエの窓枠が反射しているの間で描かれている。後者は、少女の瞳には、人為的に不自然な白い点が描かれている。それにフェルメールの絵はエイクやベラスケスに比べると筆使いは大まかで、大雑把である。 しかし、エルクの絵が「目」を描いているのに対してフェルメールの絵は「眼差し」が描かれている。このことをある美術史家は、『フェルメールは自然のとおりの即物的な光を描写するかわりに、かならずしも自然のとおりではないけれど、人物に生命感を与えるような光を描き加える。そのことによって、瞳は単に外光に反応する肉体の一器官としての「目」ではなく、内部に精神を宿した「まなざし」となる。そのとき画家は、自分が見た対象としてではなく、画家を見ている「人間」を描くことに成功したのである。』と説明していた。

         

        ここで、実際にフェルメールの真珠の耳飾りの少女を見て、何を感じるかである。しばらく前に仙台でもこの絵の実物が見られたこともあり、質問すると「あの青が綺麗」という多数の意見に混じって「親しさをじる」、「自分が見つめられたよう」という感想が聞かれた。それは、美術史家が言うように人間を描くことに成功しているからなのであろう。

         

        ここでラカンが「精神分析の四基本概念」の 「宗ヽ┐箸浪燭 」の中で『見ることは、何かを見ないでじっとしていることによって可能となっていて、この見えない何かが「眼差し」である。』としている。また、他の箇所で『眼差しには「欲望」の機能が働いている。』、『見えるものの領野における対象「a」、それはまなざしである。』と言っている。 この美術史家のいう「まなざし」とラカンのいう「眼差し」が同じものだとすれば、フェルメールの絵には対象「a」が描かれてはいないが、現れているということになる。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に感じるものがラカンのいう『眼差し」、つまり対象「a」として欠如(ーφ)の水準で機能することができる。

        | 1.サイコセラピー | 21:42 | - | - | - | - |
        心のモデルと気持ちの理解 1
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          心のモデルと気持ちの理解 1

           

          ある認知脳科学(cognitive neuroscience)の本に 『心とは脳の働きの一部であって、「知覚ー記憶ー意識」の総体であると位置づけた』とあり、これにより心の最も単純な(仮説としての)モデルを構築しさらに、言語と脳の関係を明らかにするために、『言語は心から生まれるわけだが、発せられた言葉は再び心に返って理解される』という再帰性をこのモデルに導入した言語と心の関係のモデルを提示している。もちろん、こういう仮説としてもモデルは再単純型が良いことは経済学におけるケインズのモデルからも明らかなことではある。確かに、このモデルから、さらに、『言語を心の外にある実体と考えるよりも、心の働きの一部と考える』という進展は心と言語の関係を理解するには優れたモデルであろう。しかし、言語、心、脳というそれぞれのものを結びつけて考えるには何か欠けていると感じた。何が欠けているのか?

           

          絵画の話からその説明をしたい。フェルメールの絵に関して「気持ちのいい絵だ」と評した人がいるが、上記のモデルで考えると この「気持ちがいい」の「気持ち」が心から抜けてしまうのである。この人は、気持ちは重要で、革命も、恋愛も、創作も、決勝戦も、最後のところは気持ちがその行方を決めるのだからと言っている。決勝戦というのがやや異質に思われるが、それは彼が野球が好きで、勝負を決めるのは、最後のところでは(勝ちたいという)気持ちなのだという思いがあるからだろうと思う。こういう気持ちを心から排除して心のモデルを作るのは、物事を、何の役に立つのか、何か得になるのかのように言葉で説明できることを求める人(現代の人にはそれが多いし、それが科学的だと信じている人ばかりのように思える。)なのだと感じる。しかし、この人のいうとおり、『言葉というものは目の粗い笊(ざる)のようなもので、気持ちなんて形のないものは全部笊の目からこぼれ落ちる。』ということになる。ここまでは異論はないのだが、『言葉の笊の中には何も残らない』というのは絵画に関してであって、日常の世界を生きる我々には、言葉の笊の中に残るのは「知覚ー記憶ー意識」であると思う。この視点から心のモデルを「知覚ー記憶ー意識ー無意識(気持ち)」として再構築すべきではないのかと思っている。

           

          その理由は、カウンセラーの仕事は、笊からこぼれ落ちてしまう「気持ち」を捉えること、捉えようとすることが大切だと思うからである。

           

          しかし、気持ちを捉えることには技術、技法が必要であり、それはただ資格を取って、経験を重ねるだけではなかなか自家薬籠中ものとはならない。

           

          このことを述べるのにあえて絵画から入ったのは、絵画の理解と気持ちの理解が同型だと思うからであり、また脳科学や心理学だけではなく、広く世の中にあるものを自分で経験し、自分の感性に合ったものを深く求める、つまり「道を究め」ようとすることがその理解に必要だと思うからである。

           

          稿を改めて具体的に絵画の話をしたいと考えている。

          (続く)

           

          | 1.サイコセラピー | 06:55 | - | - | - | - |
          別れ、出会い
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            もうじき10月になるが、普通の医者をセミリタイアして、今の仕事を始めて13年になる。その間に、公私共に色々な方々との出会い、別れを繰り返してきた。仕事でお会いするのは、カウンセリングであるから、来られる方は不遇を託っておられる方々が多いのは言うまでもない。「不遇」という言葉の意味は、能力を持ちながら運悪くそれが認められないことであるが「運悪く」という言葉にまとめられてしまう、実際の出来ごとに、それぞれの方の物語があるのだと感じる。クライアントとの出会い方は場所が人為的に設定したカウンセリングの場であるから、外面的には皆さん同じであるが、別れ方は様々である。飛躍、停滞、落下、不明、抽象化してしまうとそういう言葉で表されてしまうが、そこには抽象化されない個人のそれぞれの物語がある。私的には、出会いは様々な時期に、様々な出会い方をして来たのだが、別れは、最近は死別であったり、認知症であったりする事が多い。そこにも抽象しきれない物語がある。

            さて、出会い、別れというと、普通には男女間のことを思われる方が多いと思う。脳科学的視点からは、それは男の脳、女の脳の別れという事になる。人間にとって女の脳がデフォルトであり、妊娠8週でテストステロンに暴露される事でデフォルトから男の脳はつくられる。元が同じだから、或いは同じ人間だからといっても、生まれてくる時には既に女の脳、男の脳はちがっているのである。この違いの原因を継時的にホルモンへの被爆、例えば男はテストステロンとバゾプレッシン、女性はエストロゲンとオキシトシン、で述べていくと脳科学的な発達理論が出来上がるのだが、それはまた別の機会にして、このブログの文脈で必要となるのは、男性と女性で脳に作用するホルモンが違う事が、男女の脳に異なった構造を与え、その違いが同じものを経験しても、男女で異なった現実理解を生じさせるという事を理解していただきたい事である。この違いが実は両性を結びつけるには絶望的な深淵なのである。同床異夢という言葉があるが、実は同床ですらないのかもしれない。男女は異なる現実を生きているのである。

             

            この違いによって生じる男女の行動パターンの違いを、脳科学的な表現をあえて現象的に表現すれば、男性は「fight or flight」(闘争か、逃避か)になり、女性は 「tend and befriend」(世話し、かつ 友となる。ここでのtend は 看護する、世話するという意味である。)となる。この表現は単純すぎると思われるかもしれないが、男女のもつれにおいて、もつれればもつれるほどその姿を表すものであり、異性愛のパートナーとの間で、どうすることもできないもつれが生じたときに、もつれをほどくためにまさに「原点」なのだと思う。 この違いが、男性に他者から独立することに自尊心を与え、女性には他者との密接な関係を築くことに自尊心を与えるのである。この関係を基盤にして、男性は睾丸からのテストステロンにより、会話、社交への関心が低下させられ(唯一の例外が性的なことへの関心である)、女性は卵巣からのエストロゲンにより会話、社交への傾向を与えるドーパミンとオキシトシンが分泌され、それはオーガスムに次ぐ二番目の快楽なのである。同じ脳から出発しながら、成長のプログラムに沿って、ある時期にあるホルモンが働くことで、男女の脳はある意味別物といってもいいぐらい、違ったものになってしまうのである。この事が男女の行動パターンを違うものにしてしまうのである。これはわれわれ人間が長い長い原始人としての時間を過ごして来たために、そこで生存していく目的に合わせて、合目的に役割を分担したことによる進化の痕跡なのであろう。適者生存の進化の圧力が男女の役割を決め、それが脳の構造を変えていったのであろう。 あまりに、即物的だと思われるかも知れないが、これが残念ながら科学的事実なのだと思う。それは、古代ユダヤの預言者の「So was it written , So shall it be done.」(かくのごとく記されたり、かくのごとく行われん。)と同じなのである。これが人間の男女の運命なのであろう。さらに話をややっこしくするのが、ホルモン変化による脳内のある働きを持つ領域の拡大、収縮に我々は人間的意味を与えそれで、その理論の中で思考することでその変化に意味を与えて理解しようとする。しかし、そのやり方は新たなホルモンの状態を思考で置き換え、すでに自分が知っているものに結びつけて理解しようとする、ラカンに言わせると想像的な、レヴィナスにいわせると独学者の理解の仕方なのである。それでは今まで経験したことのない新しい状況には対処出来ない。その人はそれまでの世界から出ていない。

             

            しかし、ハイデッカーのいうがごとく、人間は閉じ込められた世界を超えいでる可能性を持っていると考えたときに、そこに制約された中での自由を獲得することに本来に生きかたがあるのではないかと思う。そう考えた時に、これほど脳の構造が違ったしまった男女を結びつけるのが、或いは媒介するのが「愛」なのではないかとおもう。幻覚、妄想の類なのかもしれない。しかし、それがあることが出会いを生み、それが雲散霧消すると別れが生じるのだと思う。別れに直面したときに、想像的な、あるいは独学者的な思考から離れ、(進化の圧力やホルモンの作用を)象徴的に理解できる思考の方法をもつことが新たな出会いを創り出すことができるのではないかと思う。(これも幻想か?)

            | 1.サイコセラピー | 07:34 | - | - | - | - |
            認知モード理論 その5
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              認知モード理論 その5

               

              Top Brain system 、Bottom Brain system の両者を、それぞれよく使う人、あまり使わない人がいるので、組合せとしては、2X2=4通りとなる。その4つが認知モードの4つとなる。

              Top Brain を T、Bottom Brainを Bと表し、よく使うは(+)、あまり使わないは(−)とすると、

               

              1)T(+)かつ B( +)を主体者モードという。

              このモードで考える時、Tを使って計画して実行すると同時にBを使ってその結果を認識し、その後、フィードバックに基いて計画を調整する。このモードの人は自ら計画し、行動し、自分の行為の結果を目にできる立場にいる時が最も快適である。

               

              2)T(−)かつ B(+)を知覚者モードという。

              自分が知覚しているものを、Bを使って深く理解しようとする。自分が経験していることを解釈し、それをその時の状況に当てはめ、その意味合いをつかもうとする。だが詳細な計画をたてたり、それに着手することは苦手である。余談だが、木村敏先生の記載によると、有名な哲学者であり、精神病理医であったカール・ヤスパースはこのモードであったと思われる。

               

              3)T(+)かつ B(−)を刺激者モードという。

              創造的、独創的になれるが、物事の限度がわからなくなり、他人に迷惑をかけたり、自分の行動を適切に調整できなかったりする。Bによるフィードバックがかからないからである。

               

              4)T(−)かつ B(−)を順応者モードという。

              夢中になって計画の実行に取り掛かる事もなければ、自分の経験するものの分類や解釈に専心する事もない。その代わり、目の前の事象や差し迫った課題に熱中できることが期待される。行動指向性があり、進行中の状況への反応性が高い。

               

               

              実際にカウンセリングをなさっている方は、現在うまくカウンセリングが進行していない方の顔と上記の認知モードの一つが頭をかすめたのではないだろうか? その瞬間にこの認知モード理論はあなたの自家籠中のものとなるのである。現場を持っていれば、コスリンの本に限らず、ダマシオであろうが、コッホであろうが、脳科学のきちんとした本は難解ということはない。マルクスが資本論を書いた時は、当時一番資本主義が発達していたロンドンで、毎日労働者を見ていたというが、複雑極まる脳を取り扱う時には、書斎にこもって自分の脳だけを相手にしてもろくなことにはならない。診察室で、いろんな脳を観察することである。

               

               

              人により、どのモードが優位かが違い、それが性格のはっきりした特徴となるので、各自のアイデンティティにとって、認知モードは態度や信念や情動気質と並ぶ特徴であり、重要である。

              このモードを知ることで、脳が思考や感情や行動にどう作用し、ひいては学校、職場やもっと親密な状況での他人との関係にどんな影響を与えているかの理解の手助けになる。

               

              これで、認知モード理論の概説を終える。実際のカウンセリングの現場での使用には、この4つの分類をそのままで用いると、TとBによる二分法になってしまうので、それはコスリンの望むところではないので、実際の利用に際しては、よく考えられた細かいチューニングがなされていて、二分法ではなく、システムとして考えるということが徹底されている。認知モード理論のこういう考え方は、以前に人格障害に対するミロンの考え方を紹介した時にも考察しているが、現場では、なるべく単純なシステムこそが実用的であり、誤りも少ないものである。老婆心ながら、コスリンの作った診断リストは、日本人に使うには文化的背景が違うので、少し文章表現を変えなくてはならないと思う。

               

              こういう単純な考え方を現在私は脳というか、人間の理解に関して5つ持っている。それがコスリンの言い方を借りれば、二分法にならないように、システムとして考えられるように常に気をつけている。それと、考え方の限界、たとえば、コスリンはこの認知モード理論に対して、脳をどのレベルで捉えた理論なのか、情動のシステム(これは皮質下のものが大きい)はこの理論にははいっていないこと、つまり、あくまで大脳皮質の理論なのだということ、そして選択の余地がある時に働くモードなのだということをきちんと述べているのだが、それが理論を用いる場合に忘れてはならないことである。

              この認知モード理論による4つの方の分類に関して、本の中でコスリンが触れながら、実際に診断テストには採用されていない「心的イメージ」を用いることで、もっと簡易に直感的にできる方法があると思うが、心的イメージに関して誤解がないように述べるのは大変なので、次の機会にしたいと思う。

              | 1.サイコセラピー | 11:29 | - | - | - | - |
              認知モード理論 その4
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                認知モード理論 その4

                 

                 

                Top Brain に属する、視覚野から頭頂葉に向かう回路が空間関係の認識(あるものが、もうひとつのものの左側にあるなど)に、そしてBottom Brain に属する視覚野から側頭葉にむかう回路が視覚認識(顔を見てそれが誰かを認識するとか、あのネコは前に見た猫だとかを認識する)ということは言葉はともかく内容は既に神経内科の教科書にも記載がある、目新しいことではない。

                 

                ここをもう少し詳しく説明する。

                1. Bottom Brainに属する側頭葉は、目からだけではなく、(聴覚中枢は側頭葉にあるので)耳からの入力信号もまとめて、ノイズを取り除き、脳の別の部位に送る。さらに他の側頭葉の部分には形状の(視覚的)記憶、音声の記憶が蓄えられているのでその情報も同じように送られる。
                2. この情報は Top Brainに属する前頭葉の上部に送られ、そのおかげで現在知覚している物体の性質についての情報が利用できる。そこで処理された情報が、今度はBottom Brain に送られる。
                3. 同じ側頭葉からの情報は、同じBottom Brainに属する前頭葉下部にも送られ、当該の物体や事象について適切な記憶を活性化させ、関連のある情動的な記憶の処理に重要な役目を果たす。(ここで辛うじて認知モード理論で情動が関連している)そしてそれがまた、Top Brainに送られる。

                 

                この辺の事は、論文や本によって表現はさまざまであり、コスリンはそれらを以下のようにまとめている。

                 

                1)Bottom Brain system は、感覚器からの情報をまとめるとともに、知覚されているものを、それまで記憶に保存されていた全情報と比較し、それからその比較の結果を使って、入力信号を生み出した物体や事象を分類し、解釈する。

                 

                2)Top Brain system は、身の回りについての情報を(情動的な反応や生理的要求のような他の種類の情報と組み合わせて)用いて、どの目標を目指すか決める。自ら計画をたて、その計画がどうなるかを見込み、それから、計画が実行されるなかで、起こっていることを予期していたことと比べ、その結果に従って計画を調整する。

                 

                3)Top Brain と Bottom Brain の二つのシステムは、常に協同する。

                 

                4)我々は、常にこの二つのシステムを使う。だが使い方に2種類があり、ひとつはたとえば歩くときの脳の使い方、つまり選択の余地の無い、状況に強要されている時の使い方で、これは誰もが同じ様にTop Brain と Bottom Brainを使う。しかしもうひとつは選択の余地のある、コスリンが言うには踊る時の様な脳の使い方で、このときにTop Brain と Bottom Brain をそれぞれ、どれぐらいの割合でつかうかが、この認知モード理論の基本になるのである。ここをきちんと押さえておく事が極めて、極めて大事なのである。

                 

                さあ、これでやっと実用的な4つの認知モードの話に入る。

                 

                | 1.サイコセラピー | 02:02 | - | - | - | - |
                認知モード理論 その3
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                  認知モード理論  その3

                   

                   

                  繰り返しになるが、この理論の優れている点は、右脳ー左脳の二分法という古いパラダイムから、Top Brain , Bottom Brain という二分法ではないパラダイムを提供し、かつそれが前回ブログで述べたように脳科学の発達によって明らかにされた知見にきちんと裏づけられている事である。コスリンは、脳を大きく捉えるという手法を使っている。大きくというのは、例えていうと、脳を家とすると、その材料のレベルはニューロンのレベル、もっと細かい材料の分子構造のレベルはニューロンのたとえば、カルシュウムチャンネルのレベルになるが、それよりマクロな、家のそれぞれの部屋のレベルで脳の機能を考えているのだ。だからレベルでいうと右脳ー左脳の二分法に近いレベルで考えるのであるが、二分法では脳のマクロな部分がどう相互に関連しあって働くのかを捉えることができない。右脳ー左脳の二分法は極論すると「分離脳」になってしまい、相互作用の説明ができないということなのだ。二分法に代わって「システム」でかんがえる手法を使っている。システムであるから、「出力」、「構成要素」、「入力」があり、構成要素がシステム全体のために連合し、それぞれの入力に対して適切な出力を生み出す。認知モード理論は脳を上部と下部という大きな部分に分けて、その両方を情報を特定の方法で処理する「大きな」システムとして考えている。この大きなシステムを上部、下部にわけ、前者を後頭葉、頭頂葉、前頭葉の大半(上部)、後者を後頭葉、側頭葉(下部)という処理システムと考えるのである。そしてここが大事な所なのであるが、右脳ー左脳の二分法と違って、システム間の連合がある。そこが二分法に比べて、臨床的に役立つのである。Top Brain と Bottom Brain はそれぞれ、さまざまな部分が迅速に連絡し合って連合出来るような構成要素をもっているのだ。ただ、この理論は知・情・意の知と意のシステム理論であり、情のシステムはほとんど考えていない。辺縁脳はTop Brain にも、Bottom Brain にも入っていない。そして繰り返すが、脳を「大きな」捉え方しかしていない。このことをはじめから承知の上で、この理論を日常診療に活かしていこうというのが狙いである。脳科学が細かいレベルで発達したために、トランスポートのチャンネルの微細構造や、神経伝達物質の化学的合成、分解過程、それに基づく薬物動態などが脳科学、精神科学の本の多くのページを占めるようになった。その方向は学問としては価値のあることだが、顕微鏡の倍率を上げすぎると全体が見えなくなってしまうような面があり、日常診療には適さなくなるのだ。脳を、大きく捉え、システムとして考えると言うのは優れた着眼点だと思う。

                   

                  | 1.サイコセラピー | 07:16 | - | - | - | - |
                  認知モード理論 その2
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                    認知モード理論 2

                     

                     

                    「Top brain , Bottom Brain 」の認知モード理論について、内容の説明をする前に、この本では大脳皮質の機能の理論なので、知・情・意のうち情について、つまり辺縁脳については記憶に関して僅かに触れられるが、情動、感情にはあまり触れられていない。また、右脳・左脳という二分法を否定的に捉えていること、さらに二分法自体を否定的に捉えていることを最初に紹介しておきたい。話が脱線するが、三島由紀夫がトーマス・マンの「魔の山」を読んではじめて大陸的二元論というものに得心したと言っているが、右脳・左脳もそういう二元論として捉えれば、コスリンが言うように根も葉も無いこととは思わない。コスリンは二分法ではなく、システムとして考えると言っているのは、Top Brain と Bottom Brain が、右脳・左脳ほど形態学的にはっきり二分されていないことがあるのだと思う。

                     

                    前回ブログで書いた通り、Top Brain の回路は視覚野(V1)から上向きに視覚連合野の後部頭頂葉(空間的な位置に関する視覚情報)を通り、前頭葉背外側(空間的な記憶を使った決定をする)に至る(superior occipitofrontal fasciculus)で、視空間認知が行われる。空間識別といわれ、ものの空間的関係を認知するのであるが、空間の中で物をどこに動かすか、身体をどう動かすかを決定する事も含まれるので、「計画を立てて実行する」のが Top Brainの作用と言える。

                     

                    一方、Bottom Brain の回路はV1から向きに下側頭葉(物体に関する視覚)を通り、前頭葉底部(物体に関する記憶をつかった決定)に至る(inferior occipitofrontal fasciclus)で、物体識別が行われる。つまり、それがなんであるかとか、誰であるかとかの認識を行うわけである。周りの世界からの感覚情報を分類して解釈する。

                     

                    Top brain 使う、使わないで2通りの認知モード、同様に Bottom brain に関しても2つもモーだがあるので、組み合すと、4通りの認知モードを設定できる。これが認知モード理論の大略である。

                     

                    なお、情について触れないのは、この「認知モード」というものが、「世界へどう向かい合うか、他者とどう接するかの根底にある、人間の思考法」であると述べられているので、知と意でしかないことははじめから知る必要がある。

                     

                     

                    | 1.サイコセラピー | 21:42 | - | - | - | - |
                    認知モード理論 その1
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                      脳科学から出てきた理論の中で認知モード理論(theory of congnitive modes ; Stephen Kosslyn)が人格の理解、人格を変えていく方法として実用的だと考えるので、それを説明するうえでも必要と思われる脳科学的な知識の説明から入りたい。

                       

                      従来は大脳を前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉と分けてきたのであるが、少なくとも肉眼的にはっきり分けられるのは、前頭葉と頭頂葉の間が中心溝で、側頭葉と前頭葉がシルヴィウス溝で分けられているだけで、頭頂葉、後頭葉、側頭葉の間にはこのような溝は存在しない。だから植村先生が言われるように、頭頂葉、後頭葉、側頭葉は機能的に分割できないひとかたまりの物、それに抵抗があるのであれば、頭頂葉ー後頭葉ー側頭葉コンプレックスとでも捉えた方が良いと思う。さらに、このコンプレックスを感覚統合脳、前頭葉を表出脳、辺縁系を中心とした側頭葉、頭頂葉の内側部を辺縁脳ととらえるのは作用から大脳を分節する上では優れた考え方だと思う。そして、哲学でよく言う、知・情・意を、それぞれ感覚統合脳、辺縁脳、表出脳に割り振るのである。人間が行動変容を起こすためには、知と情が共に意に働くことが必要になる。

                      こう捉えることで、認知モード理論(theory of cognitive modes)で知られるStephen Kosslyn の 『Top Brain , Bottom Brain 』が理解しやすくなる。


                      まず、知情意の知に関して。

                      体性感覚皮質に対する体性感覚連合野の様に、低次機能を担当する皮質がうけた感覚情報を高次機能を担当する皮質が「統合」しているが、この統合は皮質間だけではなく、視床が複雑に関与して、前々回のブログで述べた意識を形成する、膨大な情報量と視床ー皮質コンプレックスにとって必要なものである。

                      視覚においても同様の関係が視覚皮質(ブロードマンの17野)と視覚連合野(情報はブロードマンの18野→19野の順で伝わる)に認められる。ただし、この連合野での情報の伝わり方に2方向があり、頭頂葉方向に向かうものは視空間の認知に、側頭葉に向かうものは物体認知を
                      司る。先に述べたKosslynのTop Brain , Bottom Brain はこの方向に基づいた分け方なのである。

                       

                      次に、知情意の意に関して。

                      運動皮質、運動前野の関係は感覚皮質、感覚連合野の関係に似ているが、運動野にはほかに補足運動野と言うのがあり、運動前野は随意運動に、補足運動野は自動運動に関係している。

                      スポーツ理論は、昔このブログのメンタルトレーニングで少し述べたが、ここがポイントなので、機会があれば脳科学から見たスポーツ理論を述べたいと思っている。

                       

                      最後に、知情意の情に関して。

                      情は、情動と感情を分けて考えることが大切である。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだというダマシオの理論の理解のポイントはここにある。脳科学的にも、情動は扁桃核が、感情は島皮質が司るのである。又、情の領域には外部からの刺激だけではなく体からの刺激も入力する。(Trieb を思い出してほしい)

                      情の回路には、感情の興奮を司るPapezの回路(情動と記憶の感やすると言われた)と、感情の抑制を司る Yakovlev(ヤコブレフ)の回路がある。前者は扁桃体を、後者は前頭前野を結節点とする閉鎖回路である。前者の中心が海馬であり、その海馬は中間期記憶(最大2年まで)を司る。

                       

                       

                       

                       

                      | 1.サイコセラピー | 13:33 | - | - | - | - |